宮城県北東部の登米(とめ)市東和町は、江戸時代初期の隠れキリシタンの里として知られています。

 

 

仙台から有料道路を使わずに行くとクルマで二時間といったところ。

11月23日は朝9時にスタートして道の駅「林林館」に到着したのは11時。

 

 

米谷という地名がありますが、高校時代柔道部の助っ人として(55キロ級)県大会に駆り出された時、体重無差別の団体戦で対戦したのがこの米谷高校。

弱小チームである我々が勝つためにはチームの三強を先鋒・次鋒・中堅に置き、副将・大将は弱い奴。体重が50キロの自分が大将として対戦したのが米谷高校の巨漢、体重110キロ。

当然一本負けしましたが、勝負がついた時は観客はもちろん敵の米谷高校、そして味方の連中も大笑い。審判も負けた当方も勝った相手も苦笑い。団体戦は当然敗退です。

 

米谷高校の思い出はともかく、今回はそのキリシタンの史跡を訪問してきました。まずは道の駅へ…

 

 

まだ昼食には早いのですが、せっかくですから気合を入れて名物の「キリシタン麺」。

「キリシタン+麺」というのは「タンメン」の意味も入っているようです。

ここでキリシタン史跡の地図をいただいてきました。とはいえ案内そのものは結構大雑把。

キリシタンを売りにするのだったら、もっとわかりやすい地図を作成してほしいものです。

 

 

道の駅から岩手県一関市藤沢方面に向かって。米川の街を過ぎると右手に公園が。その綱木親和会の駐車場にクルマをとめて、三経塚という史跡へ。

 

 

まずはこんな記念碑が。

キリシタン処刑は残酷な描写が多いので読まれる方は注意。中学生以下の方々は読み飛ばして下さいね。

 

 

で、三経塚はどこかというと。

 

 

案内板が根元で朽ちて倒れてますぜ。登米市は文化財への関心が薄いのか。

 

 

山道を登る。前日は雨だったためぐちゃぐちゃだ。

 

 

ここで大勢のキリシタンが処刑されたのだそうです。

 

 

三経塚に行くにはさらに奥に進まねばならない。

 

またしても残酷な描写注意。中学生以下は読み飛ばしを。

 

 

 

案内板が見えました。目的地は山奥。

 

 

 

三経塚と呼ばれるのは、処刑されたキリシタンが40人ずつ3か所に、お経とともに埋葬されたからなのだそうです。

埋葬したあたりは残酷ながらも死人に対する配慮なのでしょうが、キリシタン側からしてみれば、処刑した挙句に仏教風の埋葬か、と呆れ果てたのに違いない。

 

仙台市内のキリシタン史跡は一度このブログで取り上げていました。改めて宣伝。

 

https://ameblo.jp/lucky-penguins904/entry-12333538111.html