毎日元気です[みんな:01]仕事が忙し過ぎる日々を過ごしています。
仕事が忙しくストレスフルで体調管理が大変ですあせる
またぼちぼち書いていこうと思います、よろしくお願いしますにひひ

iPhoneからの投稿

久しぶりにブログ見ました。
すっかり放置してしまい…😰
久しぶりに見たらメッセージや読者申請して下さってる方がいらっしゃったようですが、アプリが変わったから?見れなくて(>人<;)
すみませんでした(>人<;)しょぼん


iPhoneからの投稿
お久しぶりです。
最近忙しくブログを書けず...。コメント頂いたり読者申請をしてくださったり今日見てびっくりしました。
私の日記見てくれている方がいらっしゃるなんて...。
ありがとうございます。

では当時を振り返っていきます。

200○年○月
私自身告知されましたが、抗癌剤を行うのに親にも説明を、とのことで母と一緒に病状説明がありました。
母とともに話しを聞き、同意書にサインを行いました。
この時思ったことは『6クールかあ、仕事復帰は半年後だな。髪の毛、その頃はまだないよな。やっぱウィッグ買わなきゃだめかな。今くらい伸びるのにどれくらいかかるんだろうか。』など、体のことよりその事が気になっていました。

とりあえず今後の予定は一度外泊をして、入院中に一度腹腔内に一度抗癌剤を投与する。その後一度退院しその後6クール抗癌剤を実施する、とのことでした。
入院があまりにもストレスだったので2回目までは入院ケモをし、3クール目からは外来ケモでもいい、とのことでした。
200○年○月
術後14日目。
病理の結果がでました。
朝1で主治医が伝えにきてくれました。
「転移はなかったよ。」とレポートを見せてくれました。
が、レポートは英語なのでよくわかりませんでした。
私、転移はなかったよって言われたのによく理解できていなくて、転移がないならもう少ししたら退院できるのかなってこの時までは考えていました。
医療者の割にはここらへんには触れた事がない領域だったからかなり無知でした。
夜、先生にまた会ったので「仕事っていつぐらいから出来ますか?」と聞いたところ「ちょっと話そうか。本当は親御さんが一緒がいいんだけど医療者だからいいかな。」と別室に呼ばれました。「1b期なんだけど、お腹の中に細胞が触れたから1c期なんだよ。」この時点で1b?1c?何何??何のこと?といったかんじでした。
「上皮内がんなんだよ。だからケモが必要になる。若いから6クールを考えているんだよ。だから、仕事はその後になるかな。とりあえず入院中に一回お腹にケモして退院してその後また入院して6クールかな。また親御さんにも話したいから都合聞いてくれる?」と。
ここでやっと理解できました。
病気になってから私は情報が多いと不安の要因にもなるためネットなどで病気の事を調べるのはやめていました。
診断されてからにしよう、と思っていました。

がん。
がんかあ。
髪の毛、抜けちゃうかなあ。
頭が真っ白になるってこういう事なんだなあと思いました。

とりあえず、泣きながら彼に電話しました。

その後どうやって部屋にかえったか覚えていません。

200○年○月
術後2日目...何がつらかったかってお腹に入っている管で排尿する時にものすごく痛みがあるんです。
めちゃめちゃ痛いんです。
でも腹部に入っているからなぜ排尿時に痛いのかは不明です。

ドレーンは確か4、5日目に抜けました。
抜く時はちょと痛かったけどすぐに終わりました。
知り合いの先生から病状説明がありました。
「術中の診断は境界悪性だけど病理の結果が出ないとはっきりはしないんだ。」と。
病理は14日目くらいに出るのでそれまで入院が続きました。

病理の結果で、治療をどうするか決めると言っていました。
治療?何するんだろう。よくわからないまま日々過ぎました。

また、手術中に腫瘍の一部を腹腔内に落とした(接触してしまった)ので腹腔内の化学療法はやる、と言われました。
その為に抗癌剤用の管がお腹に入っていたのでした。

食事は3日目位から始まりました。
毎日体重測定をしたものの、2kg位手術で取ったのにそれほど減っていなかったですガーン
とりあえず日々過ぎていきました。

痛みに関しては硬膜外麻酔はだいたい3日位で切れるので終わったら抜去になり、その後は点滴でしのいでいました。
7日位するとだいぶ痛みがやわらいできました。

傷は先生が気を使ってくれて傷が残りにくいように溶ける糸を使ってくれたので抜糸などはありませんでした。
リザベンの内服も開始されました。

彼は毎日仕事の合間と終わりに会いにきてくれました。
彼がいたから日々頑張れたかな。