【開拓史231 烈々布神社】 | 桜東行のブログ

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開拓史に特化したブログです。
幕末は高杉晋作さんが好きで、こちらは小説系にしたいと思案中。

札幌近郊の開拓史史跡及び歴史について書いてます。
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開拓史史跡

烈々布神社

住所 東区北42条東10丁目1番地


【御祭神】

下記三枚目写真参照


【国道側】

【住宅街側
神社にある由緒から引用します

由緒
明治22年、旧元村字烈々布地内三地区各々(烈々布、北組、中通)に、氏神として奉斎したことに始まる。
 明治26年11月9日、横山久太郎氏が発起人となり、烈々布地区に、当時札幌区鎮守三吉神社の分祀を受け社殿を建立。
 大正12年9月、三地区合祀の議が成立ち第三小学校(現栄小学校)西隣の現在地に、本殿造営遷座。以来毎年9月例祭を執行す。
 鎮座100年に当たる平成元年7月現社殿を改築営し現在に至る。
 改築後10年を卜し有志発議のもと、ここに御祭神名碑を建立し、永く後世に伝える。

 平成元10年9月吉日
氏子中

この碑文の御祭神名が下の写真。裏にこの由緒が刻まれてます。
この烈々布(れつれっぷ)という地名の語源はアイヌ語とされてます。
確かにあまり馴染みが無い地名で当て字っぽいですよね。
確証はないのですが一つの仮説として挙げておきます🙋

【手水舎】

【嶋良作翁之像】

嶋さんについての碑文がありましたので引用します


嶋良作翁明治末年富山県よりこの地に写り開拓の鍬を揮う のち要請により札幌村役場に入り助役並に初の民選村長に及ぶ三十七ヶ年

誠心一途開発行政に盡瘁

 荒蕪痩地に今日の繁栄を築く 名誉村民に推戴札幌市政功労者の表彰を受け 勲六等に叙せらる 

天意に即して私心なく 和顔謙虚 人々その德を敬慕し 郷党の醇風自ら成る 

翁いま九十歳を迎いていよいよ矍鑠 人心の平和を念じこの地の発展に献身する まことに郷土の師表である

ここに住民一同翁の胸像を建立 相集うてその德行を顕彰し後代に傳う

昭和四十五年十一月七日 嶋良作翁顕彰協賛會


この地の開拓に貢献された方ですね🤗
富山県から移住されて札幌の発展に大きな功績を残されてます。

【狛犬】


【社殿】
由緒に記載されていましたが平成元年に改築されているので非常に綺麗な社殿であります。
三地区合祀とあり、御祭神が多いのも目を引きますよね🙂

烈々布という地名は篠路にもあり、アイヌ語から来ている説は有力かもしれませんね。

境内は非常に綺麗で御祭神の多さからご利益が北海道一だそうですよ🤭

お近くにお立ち寄りの際は参拝されてはいかがでしょうか🙂