【開拓史 126 恵庭市郷土資料館】 | 桜東行のブログ

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開拓史に特化したブログです。
幕末は高杉晋作さんが好きで、こちらは小説系にしたいと思案中。

札幌近郊の開拓史史跡及び歴史について書いてます。
宜しくお願いします(*´∀`)

開拓史史跡

恵庭市郷土資料館
住所 恵庭市南島松157-2

入館料 🌟無料🌟 

開館時間 09:30~17:00

休館日 毎週月曜日、祝日の翌日 
資料整理日(毎月最終金曜日)
年末年始(12/28~1/3)
※パンフレット参照

無料とは驚きです((((;゜Д゜))))
中の資料もパソコンなどを利用して出せたり出来るので30分クラスでは足りない程でした。
※ちゃんとマツボックリを入れてきました
٩(๑´3`๑)۶

資料館の紹介をすると(パンフレットより)

第1部 恵庭の大地
約4万年前、支笏火山が大爆発を起こし、大量の火山灰が降り積もって恵庭の台地が形づくられました。長い年月の後、豊かな緑におおわれ、さまざまな動物たちが息づく恵庭の大地になりました。
主な資料/動物・野鳥の剥製、画像検索システム

第2部 先住の人びと
恵庭に人が住み始めたのは約7千年前。縄文文化、続縄文文化、擦文文化と幾千年もの間続いた人びとの生活の跡が多数発見されています。
主な資料/柏木B遺跡環状土籬模型、北海道式古墳模型

第3部 アイヌモシリ
擦文文化の次にはすべてものが神であり、人間は神の恵みを受けて生活をするという考えを持ったアイヌ文化が続きます。
主な資料/丸木舟、狩猟用具、祭壇

第4部 大地をひらく
本格的な開拓は明治19年から集団入殖の人びとによって進められました。未開の地での開墾は厳しい自然や災害との闘いでした。やがて農作物が収穫され、牧畜や酪農も行われるようになります。
主な資料/農具、生活用具

第5部 村から町そして市へ
明治39年、恵庭村が誕生しました。大正15年鉄道が開通したのを契機に、産業が発展して人口も増えていきました。第2次世界大戦をへて、昭和26年町制か施行され、同45年には市となりました。
主な資料/林業の用具、生活用具、インクラインの模型

第6部 みんなの恵庭
私たちはみな、長い歴史の中で培われてきた生活や技術を引き継ぎ、歴史のはしに立っています。絶え間ない時の流れとともに、私たちの暮らしも止まることなく次の時代へと伝えられ、受け継がれていきます。
 考えましょう。明日、どんな恵庭を創るのか。それが、未来の子どもたちへの私たち一人一人の義務などだからー。

特別展示室
縄文時代の人々の装飾品(髪飾り、額飾り、腕飾り、勾玉・小玉の首飾りなど)

このような構成です。
私が見たかったのはもちろん!
🌟第4・5部🌟
です(*´▽`*)カイタクシ

写真掲載について資料館の方にお訪ねした所、SNSやブログでの写真掲載はOKとの事でしたが、必要最小限のものにしてます(ですが転写などはご遠慮下さい)

【開拓時代の器具】

開拓時代の器具はどこでみても『大変だったろうなぁ』という感想。
文明社会にどっぷり浸かっている我々なら恐らくはすぐ挫折するでしょう( >_<)
ばんもち・ばんだい石というのが展示されてまして、力比べ用の石です。
この石の上には北海道の地図が展示されております(文久9年(1826)間宮林蔵測量・高橋景保著 蝦夷図)
国立図書館蔵なので掲載は控えますが、きちんとした北海道の形になってますよウインク
また、幕末の年表や恵庭の開拓について
北海道誕生→移住と開拓→鍬からプラウヘ→災害とたたかう
といった説明文がありますニコニコ

集団入殖のさきがけとなったのは山口県岩国の方々で明治19年3月4日岩国を出帆8日に小樽に入港、4月19日には漁川沿いの仮小屋に到着し本格的な開拓がはじまりました。
しかし粗末な仮小屋で鍬での開拓は想像絶するもので木の根・笹の根は人々を苦しめ夏には傷ついた手足にブヨや蚊が襲いかかり、開墾しきれなかった為に種をまく事が出来ずその年の冬は飢えと寒さで犠牲者が出ました。
その後も仮小屋住まいは十数年続いたといいます。
また、水害・冷害にもみまわれ作物の病気も発生するなど過酷な環境下でありました。
恵庭の主な河川は盤尻・島松・漁・柏木川で共同用水組合を設立し、用水路の掘削を手がけてます。
この各用水路の記念碑があったのですがそこまで手が伸びず…(資料館説明文の下に各記念碑写真があります)
途中見つけた島松共同用水記念碑を掲載します↓↓

【バター製造機】
昭和5年のもの。
恵庭は明治2年に調査団を派遣し、調査団は“砂漠の原野なので牧畜を放牧すべし”との見解を示し、後に開拓使により馬111頭・牛75頭の飼育を開始しました。
以降、昭和に入ると札幌からの酪農家が次々と入殖し、ホルスタイン種が導入されてます。
上の写真のバター製造機はそうした経緯から作られた初期型の製造機ですねビックリマーク

第4部から発展を遂げた恵庭は村となります。
それについての説明文がありますが、全て掲載はせずちょっと抜粋したいと思います。

明治30年(1897)この地に初めて独立した役場『漁外(いざりほか)1カ村戸長役場』が誕生しました。これをきっかけに公共機関の設置が相次ぎ、同年に漁郵便局、3年後に漁・島松農会、明治36年(1903)には御料局漁分担区員駐在所が設置されました。
そして明治39年(1906)漁・島松両村を管内とした2級町村『恵庭村』が誕生しました。
※初代村長には山崎初吉氏が任命され10名の村会議員による議会も開設されてます。

詳しくは資料館第5部の
恵庭村誕生→戸長役場の設置→戦争と暮らし→恵庭の発展→インクライン
という順で説明が展示されてますよOK
是非チェックして下さいね(●´∀`●)

私が見学したのは主に4・5部で他は残念ながら時間の関係上、展示品を見るだけでした。
江別市の郷土資料館でも土器などがあるのを紹介しましたが、北海道はこうした縄文文化の跡を沢山みることが出来ます。
私は開拓史について調べる為に来館してみましたが、恵庭の歴史の足跡を写した写真と説明を見ながら改めて北海道の歴史は深いものがあるなぁ…と思いました(´V`)♪
開拓史前後の歴史も素晴らしいので(館内は綺麗で見やすい)一度来館される事をおすすめしますニコニコ