(少子化問題①からつづく)

 

 

さて、人口減少問題のもうひとつの解決策として、

 

それがいいか、悪いかは別として、

 

だれでも容易に想像できるのが、

 

移民の大量受け入れである。

 

(内田樹先生がより重きを置いておられた

 

こちらの話題については、

 

いろんな観点でお話しをされていますが、

 

こちらのブログで載せるのは、

 

前の①でも同じですが、

 

ごくごく一部分のお話のピックアップに

 

すぎないことをご了承ください。)

 

 

 

 

 

 

元来日本は地形的に他民族が入りにくい島国であり、

 

長らく鎖国状態の時代もあったので、

 

私も含めた一般国民の感覚や感情としては、

 

大量移民ということに対してはものすごく

 

抵抗があるのではないだろうかと思う。

 

内田先生は、そうした国民感情の前に

 

まず、人口問題のいちばんベースにあるところの

 

現実を把握してほしいという。

 

 

 

 

 

 

 

”日本の場合、今だいたい290万人の

 

外国人労働者がいるわけですけれども、

 

これからも急激に生産年齢人口が減っていきますんで、

 

今の社会システムを維持しようと思ったら、

 

毎年数十万ベースで外国人労働者を入れていかないと

 

システムが回らなくなっているということです。

 

小売店とか、医療とか、流通とか、あと農業なんかも

 

もう外国人労働者なしには成立しないというところまで

 

人手不足になっていますよね。

 

それなのに、移民を入れたらどうかとか、

 

いや、入れるのどうかなとか言ってますけども、

 

いちばんありうる問題というのは、

 

移民が来なくなっちゃうということなんですよね。”びっくりびっくりマーク

 

 

 

 

 

 

日本が断るんじゃなくて、先方から断られるというのが

 

いちばんやばいシナリオというわけである。ガーン

 

なぜならば、韓国、台湾、中国、他の東アジアの先進国が

 

日本と同じくほぼ同時に人口急減局面に入ってくるからだ。

 

中国の場合なんかでも、短期的に1億人ビックリマークぐらい減るらしい。

 

(さすがに規模感がハンパないポーン

 

それに中国をはじめとする各国は、経済維持どころか、

 

さらに経済成長していこうともくろんでいるわけだから

 

移民労働者の激しい奪い合いが起こることは

 

火を見るより明らかだ。

 

 

 

 

 

 

 

他の3カ国には、どこからマンパワーを持ってくるか

 

についてのプランがあるらしいのだが、

 

日本だけが、ノープランなのだ。ビックリマーク

 

(他の3カ国がどこから移民労働者を持ってくるかは

 

内田先生しか知りえない

 

とてもおもしろい話もあるのですが、

 

ここでは長いので割愛します。

 

書籍化されたものをぜひお読みください。

 

クライアント様なので堂々と宣伝させて

 

いただきますが。グラサン

 

 

 

 

 

 

だが正直、仮に日本が人口減少を補えるほどの

 

移民の獲得に成功したとしても、

 

大量移民を受け入れた後の、日本の未来への不安が

 

どうしても拭いきれない。

 

これまで高い技術と文化を誇ってきた

 

日本の美しき国の形が崩されていって、

 

衰退に向かわないだろうかと。

 

 

 

 

 

 

”たしかに移民を受け入れるというのは難しい問題です。

 

フランスとドイツはもう完全に移民政策に

 

大失敗しています。

 

多様性と包摂ということがきちんとできない社会が

 

移民問題に踏み込んでいった場合に

 

大混乱が起きるわけです。

 

だから、とにかくすべての国々のすべての社会が、

 

共生が可能なような成熟した社会になっていく

 

ということが実は、最優先なんです。

 

自分と人種も違う、宗教も違う、言語も違う、

 

生活習慣も違う人たちとでも一緒に生きて、働いて

 

一緒に良きものを作り出していかなければならない。

 

その能力が

 

これから生きる人たちにとっていちばん大事な能力、

 

共生する力です。

 

なかなかそのことを声を大にして言う人がいないので、

 

僕がいちばん言いたいことはそのことなんです。”

 

 

 

 

 

 

実は、この講義が行われたのは、

 

ロシアがウクライナに侵攻する前のものなのだが、

 

あの国の独裁者の醜悪さを見せつけられると

 

民族や国家の優位性に固執することへの

 

愚かさを思わずにはいられない。

 

人間として何が健全で豊かであるかといえば、

 

内田先生のおっしゃるように、

 

文化の違う、どんな人種の人たちとも

 

一緒に手を取り合って、

 

お互いを尊重しあい、

 

新しい国や社会を作っていくこと、

 

そこに大きな学びがあり、

 

さらに国民と国の成長があるということなのだろう。

 

 

 

 

 

 

日本列島も、

 

何千年というタイムスパンで考えれば、

 

人々が共生してきた歴史が

 

ちゃんとDNAにも残されているという。

 

3回大きな移民の波があり、

 

人種も、まったく生活のしかたも違う人たちが

 

大陸から来て、半島から来て、

 

それからポリネシアから来ている。

 

普通は、先住の民族と渡来の民族は

 

殺し合いになって、

 

どっちかが殲滅されるか、

 

どっちかが奴隷になる。

 

それをちゃんと共生して、

 

いろんな人たちの血統が混ざりあって

 

今の日本人というのは

 

できあがっているわけでなのある。

 

 

 

 

 

 

 

そんなDNAを持つ日本人は、

 

考えてみれば、

 

まさに多様性と包摂

 

(ダイバシティー&インクルージョン)

 

を見事にやり遂げて、

 

共生社会として

 

世界のお手本になるような国になっても

 

おかしくないのではないか。ラブチョキ

 

 

 

 

 

 

 

 

(さて、内田先生によると、

 

アメリカが今でも世界の超覇権国家でいられるのは

 

上手な移民の取り込みに成功しているからだと言う。

 

それはただのマンパワーだけではなくて、

 

イノベーターを取り込んでいるから。

 

ここも移民政策としては重要なところなので、

 

その他のおもしろいお話も含め、時間の余裕があれば

 

”番外編”でアップするかもしれませんが、

 

とりあえず、今回は②で完結です。ここまで

 

お読みいただき、ありがとうございました)

 

 

 

 

 

 

内田樹氏のウィキペディアを見ていたら、

 

氏がナイアガラーだと知りました。

 

私も大滝詠一ファンのナイアガラー、

 

勝手に親近感ドキドキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本はいずれ存在しなくなるだろう」

 

先日、イーロン・マスク氏が日本の少子化のことを案じて、

 

衝撃的な表現でツイートしたのをニュースで聞いて、

 

ドキッとした。びっくり

 

「将来の日本の人口は6800万までに半減して

 

たくさんのゴーストタウンとゴーストシティーが現れる」

 

と今年1月にも投稿していたらしい。

 

 

 

 

 

 

外国人にも心配されるほどだから

 

日本の人口減少問題は、本当に深刻な問題なのだろう。

 

しかし、ふつーの国民にとっては、ずっと先の

 

そんな途方もない問題を真剣に考えることなど

 

まずない。キョロキョロ

 

だいたい少子化によってどんな未来がやってくるのか

 

想像力も働かないのである。

 

 

 

 

 

 

しかし、こんな仕事をしていると、

 

そんな大きな問題についても

 

有識者のお話を聞ける機会がある。照れチョキ

 

 

 

 

 

 

 

たまたまごく最近、内田樹先生の講義の録音の中で

 

この少子化問題のお話をされていたので、

 

自分なりに忘れないうちに要約しておこうと思う。

 

(あくまで、たくさん話されている中のピックアップで、

 

私個人の理解ゆえ、出版されたものとは

 

編集点や内容に

 

相違があるかもしれません、その点はお許しください)

 

 

 

 

 

 

 

もしも人口減少を補えるほどの移民を受け入れないことを

 

前提とするならば、

 

将来の日本の国の形のシナリオは大きく二つ。

 

地方分散か、都市一極集中か。

 

もともとの日本は地方分散型だったわけで、

 

人口3000万の江戸時代には三百の藩があって、

 

藩というのは基本的に自給自足。

 

”その中に城下町があって、お寺があったり、

 

神社仏閣があったり、

 

お茶の宗匠がいたり、能楽師がいたり、

 

日本中に文化的発信拠点があって、

 

それで産業を持って暮らしていた。”

 

(” ”の間は、氏の表現ほぼそのままに近い)

 

 

 

 

 

 

江戸時代はとてもエコな時代で、質素ではあるが

 

人々が心豊かに文化的に暮らしていたというイメージは

 

私の中にもある。

 

まあそれは封建時代の遠い昔としても、

 

それから近代化が進んで、

 

明治40(1905)年ぐらい、日露戦争の頃の人口が

 

5000万ぐらいで、それでも日本中に人が住んでいて、

 

固有の文化を持ってゆったり暮らしていたわけである。

 

 

 

 

 

 

”日本は自然資源も豊かだし、温帯モンスーン、

 

肥沃な土地があって、

 

そこでのんびり暮せばいいじゃないですか。

 

教育とか医療とか世界的なレベルのインフラも整備されているし、

 

資源もあるし、エンターテイメントもあるし、

 

べつにそんなカリカリしなくても、

 

のんびりと居心地のいい中規模国家という感じでやっていけば

 

いいじゃないですか。”

 

つまり内田先生は、日本は

 

”地方に離散して、資源を分散していって、全国津々浦々どこでも

 

人々が楽しく暮らせるようにしたほうがいい”と

 

思っていらっしゃるのだ。

 

 

 

 

 

 

イーロン・マスク氏が投稿で言っている、人口6800万人でも、

 

「たくさんのゴーストタウンとゴーストシティーが現れる」

 

というのは、日本がこのまま

 

都市一極集中型に進んでいった場合の未来予想図には違いない。

 

 

 

 

 

 

”資本主義が発展していって、経済成長を続けようと思ったら、

 

人口はとにかく集めるしかない。人々がいっぱい集まると

 

土地の値段も上がるし、賃金も上がるし、

 

消費活動も活発になるし、べつに人口が5000万になっても

 

5000万をぎゅーっと首都圏に集めてしまえば、

 

相変わらずみんな満員電車に乗っかって出勤していって、

 

その地域だけの経済というのは極めて活況を呈する。

 

その代わり首都圏から一歩出るともうなんにもなくて

 

広漠たる荒野が広がっているという、

 

そういうふうな未来像になるわけです。”

 

 

 

 

 

 

べつに大部分の人が経済的に豊かなのだから、

 

それでもいいじゃないかと思うかもしれないが、

 

人里離れた自然豊かなところでスローに暮らしたいと

 

思う人がいても、

 

学校とか、警察とか、消防とか、

 

そういう基本的行政サービスはコストがかかるので、

 

地方でも一箇所にコンパクトに集められて、

 

そこから離れて暮らす人は、

 

そういうサービスが受けられなくて

 

生活に支障をきたすということになってしまう。

 

 

 

 

 

 

今でさえ、里山というものがなくなりつつあるが、

 

都市一極集中になると、完全に失われてしまう。

 

価値あるものはというのはほとんど全部里山から

 

生まれているにもかかわらず。ショボーン

 

 

 

 

 

 

”この里山というものがなくなってしまうと、

 

いろんなものが失われてしまうんですね。

 

ただ過疎化、無住地化していくんじゃなくて、

 

実際には人が住まなくなった地域というのは、

 

今の流れだと

 

太陽光パネルを並べるとか、風力発電を並べるとか、

 

産業廃棄物を捨てるとか、そういう形で功利的に

 

活用されそうなんですよね。

 

そうやってこれまでずっと僕らが暮らしてきた

 

日本の里山が、そういう形で破壊されていく

 

というのはちょっと座視しがたいんですけども、

 

でも、これ止められないんですよね。

 

地域住民がいれば反対しますよ。

 

生態系を壊さないでくれと、

 

山や森や河川が汚染されたりしたら、

 

暮らしていけないからって反対運動があって

 

反対運動がある限り勝手なことはできませんけど、

 

地域住民がいなくなっちゃうから、

 

急激に日本の里山地域が荒廃していく未来が

 

見えてしまう。”びっくり

 

 

 

 

 

さらには、”前の3.11のときにわかったけれども、

 

都市部に資源一極集中してしまうと、

 

都市部がやられた時に、人も逃げようがない。

 

首都圏に大震災が起きた場合、

 

逃げた先が太陽光パネルが地の果てまで埋め尽くしているという

 

ところなのだから。”

 

 

 

 

 

 

 

実は、この内田先生の講義は

 

海外に住む中高生に向けたオンライン講義なのだが、

 

将来、人口減少問題にリアルに直面しそうな

 

子供たちに、

 

この国民的な議論なしに進んでいる都市一極集中に関して

 

お父さんの意見も聞いたりして、家庭内でも

 

もっと議論しませんかと勧める。

 

既に日本が議論もなしに、

 

都市一極集中に舵を切ってしまっていることに

 

強い危機感を抱いているのである。

 

 

 

 

 

 

(少子化問題②につづく)

 

 

 

 

 

 

それでも東京が好きドキドキ てへってへぺろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡辺裕之さんの突然の訃報のニュースは驚いた。

 

特別ファンというわけではなかったが、

 

それでもやはりショッキングな知らせであった。

 

これまでたくさんのタレントさんの話を

 

起こしてきて、

 

ほぼ内容を忘れているインタビューも多いが、

 

もう15年以上も前のインタビューでの

 

渡辺さんの長年続けられていた

 

公園でのゴミ拾いの話は、

 

とても感心したので印象に残っている。

 

ハードスケジュールの芸能人なのに

 

時間を作って毎日のようにゴミ拾いされるのは

 

なかなか真似のできることではない。

 

 

 

 

 

 

 

人気の影で、そのように陰徳を積まれている

 

芸能人の方は多いのだろう。

 

私が実際にインタビュー音声で聴いた中では

 

こちらも知られた話だろうが、

 

元プロボクサーの輪島功一さんも

 

犬のお散歩と一緒にゴミ拾いを日課にされていた。

 

 

 

 

 

 

毒舌のお笑いのイメージとかけ離れて、意外だったのが、

 

ビートたけしさんが続けられていることのお話。

 

こちらはゴミ拾いではないが、

 

外でトイレを使ったときには必ず

 

便器を拭いたりしてきれいにしてから出るとおっしゃっていた。

 

浅草の修業時代に師匠に言われたことを守っているらしい。

 

自宅のトイレを毎日ピカピカにすると金運が上がるというので

 

実践している人は多いだろうが、

 

外の便器まできれいにするのはなかなかできることではない。

 

駅などのどんなに汚いトイレでも、だそうだ。びっくり

 

 

 

 

 

 

 

たけしさんの話を広げてしまうが、

 

もっと意外に思ったのが、

 

仏壇だったか、神棚だったか、なんだったかに

 

(このへんの記憶は曖昧キョロキョロ

 

毎日手を合わせて感謝の言葉を伝えるのを

 

習慣にしているという。

 

たけしさんといえば

 

例のあの事件と、バイク事故を起こして

 

あまりにも波乱万丈な人生を送られているが、

 

それでも現在までお元気で大御所として活躍されているのは

 

やはり日々のそうした信仰の積み重ねもあって

 

なにか大きな力に守られているのかしらと、

 

思ったりした。

 

 

 

 

 

 

 

渡辺裕之さんにしても、

 

そうやって長期間にわたって陰徳を積まれている方は

 

さぞ不動の心の持ち主だろうと思っていた。

 

 

 

 

 

 

実は、

 

渡辺裕之さんが亡くなる二週間ほど前から

 

早朝余裕があるときに、

 

よく散歩やジョギングをする川沿いの道の

 

ゴミ拾いをしていた。

 

それは世のためというよりも、

 

そういう小さくても善行為をすることによって

 

自分自身の心の安定につながらないかと思ったからである。

 

 

 

 

 

 

 

もちろん渡辺さんの死によって、

 

そのことをやめるわけではないが、

 

いくら良いことを続けていても、

 

その当人の苦悩の深さを埋められるわけではない

 

ということを思って、

 

少しくじかれる気がすることも確かである。

 

 

 

 

 

 

(故人のご冥福を心よりお祈りいたします。)

 

 

 

 

ゴミを拾う川沿いの道すがら、見えるカキツバタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴールデンウィーク前から実家に帰省していて

 

4月30日、お昼過ぎに羽田空港に戻ってきた。

 

まだゴールデンウィークの二日目、

 

空港は人で溢れかえっていた。

 

比較的空いている平日なら、

 

迎えに来てくれた夫とともに

 

空港でゆっくり食事をするところだが、

 

それは断念して、

 

空港にほど近い城南島海浜公園に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

風は少しひんやりしているが、

 

前日の雨に洗われて

 

新緑もひときわ輝いて見える。

 

この青空のもとで食事をしたら、

 

さぞ気持ちがいいことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

初めて訪れた頃の城南島海浜公園は、

 

あまり人に知られていなくて穴場だったが、

 

連休中ということもあり

 

家族連れを中心にやはりたくさんの人たちで賑わっていた。

 

バーベキューやキャンプを楽しむ人たち、

 

釣りや、飛行機の写真撮影をする人もいる。

 

 

 

 

 

 

 

屋外では開放感のせいもあって、

 

室内ほど人の多さは気にならないものだ。

 

海風と新緑のまぶしさが

 

気分をより爽快にしてくれる。

 

芝生に座って草の匂いを感じながら

 

食事をするのも気持ちがよさそうだと思ったが、

 

ちょうど空いていた木のテーブル席があったので

 

そこでお昼を食べることにした。

 

 

 

 

 

 

 

空港の喧騒から一刻も早く逃れたかったので

 

お弁当は物色してこなかったが、

 

私がお土産で持ってきたのどぐろの柿の葉寿司と

 

あんころ餅に加え、

 

園内のキッチンカーで売っていた十勝豚の焼肉丼を買ってみた。

 

白米とキャベツの上にタレが絡んだ十勝豚の焼き肉が

 

のっているお弁当。

 

私は通常より小さいサイズを選び、

 

温泉卵(100円)のトッピングをして750円。

 

実はこの金額なので、お肉の量はさほど期待していなかったのだが

 

開けてみたら十分なお肉のボリュームだった。

 

近頃の物価高を思うと、このお値段は安すぎるのでは?

 

(たった5つで1200円の柿の葉寿司と、つい比べてしまう。笑い泣き

 

お味も、少しタレは甘めであったものの、お肉は新鮮だった。

 

(すぐ食べてしまったので、残念ながら写真はなし。てへぺろ

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、実家に戻ると、いつも必ず行く

 

お気に入りの食事処は

 

値段は据え置きだったが、

 

量が減らされていて、少しさみしい思いをしたなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

少しずつ変わる世の中の変化に思いを巡らせつつも、

 

こうやって平和な東京で、変わらぬ季節の美しさを

 

味わえる喜びを、お弁当とともに噛みしめる

 

ゴールデンウィークのひとときでした。ドキドキ

 

 

 

 

 

 

 

 

人気もまばらな、かつての静かな城南島海浜公園ニヤリ

 

 

 

 

少しアンニュイな初秋の城南島公園にタイムスリップするならダウン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早春にはいろいろな表情がある。

 

陽の気に満たされ、気温の緩みにも

 

自然と心が浮き立つ明るい日もあれば、

 

春のもやのようにぼんやりとして、やる気が起こらず、

 

気だるさを感じる日もある。

 

(花粉症で苦しむ人々などは春を楽しむ余裕など

 

ほとんどないだろう)。

 

寒暖の差も激しく、

 

春へとだいぶん前進したかと思えば、

 

急に寒の戻りがあり、

 

なごり雪を降らせるような時もある。

 

寒暖差は1日のうちでも大きくて、

 

暖かい昼の日であればなおのこと

 

夜は寒さに震えたりもする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

季節の中では、

 

春は、一番不安定だと言えるかもしれない。

 

春の歓びを思うのか、

 

春特有のだるさ、不安定さに意識を向けるのとでは、

 

春の印象はだいぶ違う。

 

 

 

 

 

 

 

そして、残念ながら今は、季節以外の要因も

 

春を感じる心を邪魔する。

 

終息の見えないコロナ状況、

 

さらに先のわからないロシアのウクライナ侵攻が

 

世界を恐怖と不安に陥れている。

 

ふだんの春の憂鬱にも増して

 

そんな世界情勢に心はとらわれて

 

季節の美しさが霞んでしまうのも事実である。

 

 

 

 

 

 

 

そんな春の大気をいつもより重たく感じ

 

憂いに沈みながら、

 

ただ私にできることは、世界平和へ向けて祈ることばかりの

 

やるせない早春でもある。ショボーン

 

 

 

 

 

 

 

 

せめて、災いが起こる前のブログで早春への旅をしよう。照れ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空の色を日々観察していると、

 

冬から春への季節の移り変わりがよく見える。

 

今年の場合は1月の半ばぐらいまでは

 

寒気に磨かれたような鮮やかな青い冬の空が続いていたが、

 

後半からは、晴れていても白っぽい空の日が多くなった。

 

そうなると、大気にも春の気が混ざってきた、ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

昼も夜も光がキラキラ輝くイメージの、

 

東京の冬が好きな私は

 

そんなにも短い、純然たる冬の終わりを感じると、

 

少しさみしい気持ちにもなるが、

 

季節はそうやって流れていくものだから、

 

その移り変わりも楽しいことではある。

 

 

 

 

 

 

 

2月の間はそうやって少しずつ春の気が増してきて、

 

3月が目前となった今は、

 

だいぶ春の濃度が上がってきたといおうか。ニヤリ

 

ここのところ目にする夕方の空が

 

桜色に染まって、

 

まもなくやってくる花の季節を想い、

 

自然と気持ちが高揚してくる。ラブ

 

 

 

 

 

 

 

季節や自然の変化に関心がない人々は

 

ほとんど気づかないであろう、

 

微妙な空の色の変化だが、

 

植物は少しずつ忍び込んでくる春の気配に

 

敏感に反応する。

 

そうして梅の木などのかたい蕾も

 

次々とほころんでゆくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

梅といえば、

 

ふと気づいたことがある。

 

今年は全体的に花が例年より小ぶりのような気がするのだ。

 

2月の気温が低めだったせいなのだろうか。

 

それがもし事実だったとしたら、

 

そんな小さな自然の変化を発見するのも、

 

季節マニアの愉しみの一つでもある。グラサン

 

 

 

 

 

 

 

I LOVE SPRING AIR ドキドキ

 

 

 

 

 

 

 

まだ満開になっていないせいか、一つ一つの蕾が例年より

小さく思える梅の花。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みずみずしい新緑が風におどって、

 

さやさやと音を立てるこの時期は

 

本来ならば、四季を通して最も心地の良い季節だ。

 

残念ながら、今年はGWを過ぎると

 

梅雨のような陰鬱な空模様にずっと覆われてしまった。

 

ようやく下旬の23日になって

 

久しぶりに5月らしいさわやかなお天気が回復した。

 

 

 

 

 

 

 

それは、私にとってとてもラッキーだった。

 

なぜならば、この日、都内のとあるホテルに

 

宿泊することにしていたからだ。

 

三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア。

 

オリンピックのために建て替えられた新国立競技場の

 

真向かいに建つ、

 

美しい木の建築が目を引くホテルで、

 

一度泊まってみたいと思っていたのである。ラブ

 

 

 

 

 

 

 

ホテル名に「杜」を謳っているように

 

都心にしては緑豊かな、静かな環境に立つ。

 

だから風薫る5月に宿泊するのはとても似つかわしい。

 

お天気に恵まれて本当によかった。晴れニコニコ

 

 

 

 

チェックイン前に、ホテルのレストランのテラスで一休み

手前は公園になっているので、本当にリラックスできる

 

 

 

 

 

 

 

正四角柱のこのホテルは

 

四方すべての方角に部屋があるので、

 

予約をする際に、眺めのことを考えて

 

迷わざるを得ない。

 

初回は、

 

新国立競技場が目の前にどーんと広がる部屋に

 

宿泊するのが定番だろうと思ったが、

 

迷った末、

 

新宿の高層ビルの夜景が楽しめる西側の部屋にした。

 

(さて、その選択の結果は? ②につづく)

 

 

 

 

向かいは国立競技場

 

 

 

 

 

 

コロナ禍で出かけることが少なくなったせいか、

 

不思議な雲や彩雲を見る機会も減った。

 

天とのつながりが消えたようで

 

寂しく思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを考えながら

 

早朝散歩に出かけるために

 

家の外に出て、なんとなく空を眺めると

 

羽のような彩雲がひらひらと浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

まるで、「大丈夫、

 

いつも上から見守っているよ」

 

というメッセージに思えた。

 

とてもうれしくて、スマホでパチリ。

 

そしてもっと広い空で確認しようと

 

隣家の角を曲がったら、

 

もう消えていた。

 

 

 

 

 

 

空がメッセージボードに思えることは

 

これまでも何度かあった。

 

虹を見たいなあと思っていたら、

 

その翌日や数日後に空に現れた。

 

しかし、その虹は儚くやはりすぐに消えた。

 

 

 

 

 

 

もちろん思いがけない時に、

 

珍しい雲や彩雲は出現したりもする。

 

なかなか消えずに、ずっと空にあったりすることもある。

 

なんにせよ、

 

私にとってそういう不思議な空の現象は、

 

よく言われる吉兆というよりも、

 

見守ってくれている天の存在による

 

「なにがあろうと、がんばって生きなさい」

 

という励ましのように思えるのである。照れ

 

 

 

 

 

 

やっぱり空が好きドキドキ

 

 

 

 

 

 

期待に答えて(?)、ほんの一瞬だけ現れた彩雲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年々、冬が短くなる印象に比べて

 

春は長く続くように思われる。

 

しかし、同じ春という季節の括りのなかでも

 

二種類の春がある。

 

早春と陽春。

 

この二つの春のイメージはだいぶ違う。

 

 

 

 

 

 

 

2月は、地方によってはまだまだ冬の真っ只中だろうが、

 

少なくとも東京においては、

 

春のかすかな息吹を感じる日が出てくる。

 

それは大気の感じだったり、

 

どこからか漂ってくる匂いだったり、

 

夜の闇の濃さの違いだったり、

 

それらすらでもない、からだが感覚的にとらえる

 

春らしいなにか。

 

それをキャッチした瞬間、心の奥がふわっと緩むような

 

なんともいえない感じがするのである。

 

 

 

 

 

 

 

そんな春の最初の息づかいを感じた時から

 

早春は始まるわけだが、

 

しかし早春というのは概して

 

不安定な時期である。

 

冬の寒さに逆戻りしたり

 

春の嵐が吹き荒れたり

 

冬の東京は澄み渡った空の日が多いが

 

早春の頃は、全体的にモヤっていて

 

陰鬱な曇り空の日も多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから春先は、そんな定まらない天候に影響されて

 

人によっては気分が沈みがちである。

 

深い悩みを抱えていれば、死を意識する人もいるかもしれない。

 

春の死といえば、

 

私はヘルマン・ヘッセの『車輪の下』や

 

日本のドラマでは野島伸司脚本の

 

『高校教師』を思い起こす。

 

未熟で繊細な心や禁断の恋の切なさを表現するのに

 

早春という季節はとても合うのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうした不安定な季節を通り過ぎ、

 

桜が満開になり、そして散ったあとは

 

目に鮮やかな新緑が吹き出し

 

圧倒的な勢いで世界を覆い尽くす。

 

この頃には気温もだいぶ緩んできて、

 

百花繚乱、色とりどりの花が咲き誇り、

 

より明るい日差しに照らされて

 

なにもかもが光り輝いて見える季節、

 

それが陽春である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ちも自然と高揚し、

 

安定した気分を保っていられる。

 

それはやはり街中に萌え出した若葉のパワーと言えるだろう。

 

新緑の生命力が自然と人間をも元気づけ、

 

1年でいちばん快適で陽気な気分でいられるのかもしれない。

 

そんな時期にちょうどゴールデンウィークがあるのは

 

なんという幸運だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年に引き続き、コロナで行動は制限されるが

 

たとえ遠くに行かなくとも、

 

木々や草花はどこにでもあるもので、

 

一歩表に出れば、春のカラフルな風景が

 

目に飛び込んでくる。

 

一年でいちばん自然のエネルギーが強い

 

この陽春の麗しさを享受しない手はない。

 

もちろん密を避けながら、臆せず東京散歩を楽しもうと思う。照れ

 

 

 

 

 

 

 

I LOVE SPRINGドキドキ

 

 

 

 

 

 

 

 

新緑の中で一息つけるスペースがあちこちに

 

 

 

 

 

 

 

 

暦が3月になると、

 

不思議なもので、もう冬の記憶は薄れていく。

 

今年の冬が暖冬であまり冬らしくなかったとか、

 

もうそんなこともどうでもよくなって

 

自然と心浮き立ってしまうのが春である。

 

 

 

 

 

 

 

今年はとくに早く、

 

日々明るくなる日差しの中で

 

木の花の美しさがやはり心にとまる。

 

代表格は、白から赤のいろいろな濃淡の色をあちこちで

 

鑑賞させてくれる梅だが、

 

私は木の花の中では大ぶりな木蓮も好きだ。

 

ことに、白い木蓮の蕾が開く直前。

 

一様に上を向いて膨らんだ木蓮の蕾が枝全体についているとき

 

それは、

 

枯れ木に白い鳥が集団でとまっているように見えて

 

おもしろい。ウインク

 

 

 

 

 

 

 

春に心が浮き立つのは、

 

そうやって視覚的に愛でられるからばかりでもない。

 

最近は、夜遅く帰宅することもあるのだが

 

コロナの世でとくに静まり返っている暗い住宅街の中を

 

歩きながらでも、

 

私の鼻は春独特の匂いをしっかりと楽しんでいる。

 

それはどこからか漂ってくるヒサカキの花の匂い。

 

甘い香りではないのだが、なんともクセになる香りで

 

これを嗅ぐと、

 

やはり春に包まれていることを

 

うれしく思うのである。照れ