ルキアス・アセンションクラブでは、セッションを受けて頂くと、その間に見えたことをリーディングとしてお伝えしております。
最初は失敗した人生を見せられることが多いです。
それが今の人生に大きく 影響しています。
ルキアスのセッションを受ける事で書き換えが起こります。
その変化もリーディングとして、お伝えしております。
その一例をご紹介します。
(Uさん)
「肉体とライトボディに悪影響を与えている、今、この方が受け入れられる今世や過去世や未来世や多次元や天界の記憶を癒し、感情を解放し、全てのインナーチャイルドを癒し自分と統合する」
下半身が沼に浸かっている人型の存在。
人の姿で見せてくれているが、生身の肉体ではなく、密度の高い石のような質。
それは、じっとしている。
動くとさらに沼に沈んでいきそうなので、今の状態から悪化しないよう、ただただじっとしていることを選んだ。
本来の力が発揮できれば、その沼から脱出できる力は充分持っている。
しかし、今はそれができない。
できない理由を探る。
沼に浸かっている存在には、共通意識体である別の存在があった。
それはお地蔵さんみたいな、やはり一見、石にみえる存在。
村外れに小さいながらも手入れの行き届いた祠があって、そこに安置されている。
村外れにありながら、村人が絶えず手入れにやって来て、そして手を合わせて小さなお願いごとをしていく。
見た目はお地蔵様だけれど、村の「神」として崇め祀られている。
祠のすぐ横には松明の火があり、この火を絶やしてはいけないという言い伝えがあった。
古くからの言い伝えなので、理由とか絶やしたらどうなるとか、そのあたりのことはすでに不明。
「炎を絶やしてはいけない」だけが、村人の心に非常に深く浸透している。
だから夜中を含め、誰かが必ず火の番のためにお地蔵様の傍にいることになる。
いつの間にか、火の番の間は、お地蔵様に向かって身の上話や近況を話すことが恒例になった。
他愛無いこと、嬉しい報告もあるが、多くは困りごとや心配ごと、望みや願いなど。
お地蔵様(的な存在)はそれを聞いて、特にどうしようという意図は持たないけれど、皆の災難が無くなるように、幸せに過ごせるようにと思う。
そうすると不思議と村人たちの困りごとは小さくなり、平穏に暮らしてゆける。
そんな力を持ったお地蔵様。
何かきっかけがあって、村人から崇められるようになったけれど、それは自ら望んだことではなかった。
また、長居をするつもりもなかった。
けれど今、祠から動けないでいる。
(動こうと思えば動けるが、動かない)
自分を「神」と祀り、丁寧に扱ってくれる村人たちを見捨てられないし、失望させたくない。
情のようなものかもしれない。
このままここに居続けるのも悪くはないと思ってはいるが、ここで全てのエネルギーを使うので、冒頭の共通意識体の方が沼に浸かったままの状態で動けないでいる。
こちらは本当に動けない。
沼から抜け出す能力はあるが、エネルギーがお地蔵様の方に取られているから、能力を発揮できず、ただ現状を悪化させないこと、停滞し続けることが精一杯。
今回は変化前変化後というより、このヴィジョンが伝えていることが重要とのこと。
能力があっても、それを発揮するのに必要なエネルギーが有るか無いかで、結果が違ってくる。
自分を助けるため、自由に動くための能力にエネルギーを使えていない現状がある。
何にエネルギーを使ってしまっているのか。
ヴィジョンではお地蔵様は自分を祀ってくれる村人にエネルギーを使っていた。
Uさんが実際にたてまつられている訳ではないと思うけれど、頼りにされたり、悪く言えば「いいように使われたり」と、周りの人々の要求にエネルギーや意識がゆき過ぎているのかも。
それによって、自分に対してエネルギーが使えていない。
皆のため、という意識が強いかもしれないけれど、自分自身が自由に動くこと、自分自身を助けることにエネルギーを最大限使えれば、結果的に、それは皆のためになるのでは?
沼の人もお地蔵様的な存在も、石っぽかったのは何か意味があるのだと思う。
1つ1つ考えることをしないで、習慣化しているというのか、慣例化しているというのか、無意識過ぎる事を表しているのかもしれない。
自分の顕在意識では見つけられなかったところや、分かっているけれど変えきれなかったところにセッションのエネルギーがアプローチしてくれた様子。
担当:潮音