昨日は、春を肌に感じた一日でしたね。
故郷の山の雪もとけたかなぁ・・・と。
先日、どうしても伝えたい思いがあり、中学時代の恩師に手紙を書きました。
卒業以来、25年近くもお会いしていない先生です。
私はときに、自分が単に透明な容器のように思えるときがあります。
中に入っているものは、家族や先生や、今まで出会った大切な方たちが残していってくれたもの。
私はそれを必要に応じて、中から取り出しているだけの存在。
そんなふうに感じます。
今でも新しいものが入ってきます。でも、ずいぶん前からずっとあるものもあります。
色んな色や形をしています。
その先生にいただいた部分は、「この部分」 と自分で明確に指し示すことができます。
感謝を伝えました。
彼女は国語の先生で、ご自分のライフワークとして、当時から短歌を作っていらっしゃいました。あるとき、その意味を私たち生徒にこう説明されました。
「一度きりの人生を精一杯生きたしるし」 として歌を詠んでいる、と。
正直当時は、美しい言葉だなとは思いましたが、それ以上の感情はありませんでした。奇抜なものを好む思春期の生徒にとっては、少しインパクトに欠けるようにさえ思われました。
時が経ち、いま、この言葉はずっしりと心に響きます。
「生きる」 という言葉でしか形容のできないこの毎日。
一つひとつの、選び抜かれた飾り気のない言葉が、真実に迫っているように思います。
折り返しすぐに届いた、5枚にもわたる先生からの返信は、心に沁みるものでした。
力強い筆跡と、行間に迸る感情を前に、言葉もありません。
ただ、気持ちをお伝えできて良かったな・・・と。
最近先生が詠まれた歌です。
「ひとり分の小松菜茹でつつ暮れてゆく厨まほろばのくつろぎにゐる」
私の名前がついた透明な容器に、また何かが加わりました。
新しい春の始まりです。しっかりと前を向きたいと思います。