昨日、娘があまりにも言うことを聞かなくて、ついに私は切れました。

娘を初めて叩いてしまいました。

言い訳はしません。

こんな小さな無抵抗の娘に、大の大人が、しかも母親が手を上げてしまったことを、心から後悔しました。


夫が帰宅して、そのことを話しました。


「今日、娘を殴ったわ」


夫は、

「あかんやろ!それはあかんやろ」

と言いました。


当たり前です。

どんな理由があったにせよ、娘に手を上げた私が悪い。

でも、聞いて欲しかったのです。


「何があったの?」って。


訳もなく衝動的に娘を殴るようなことはしないと、夫も分かっていたと思います。

だからこそ、どうしたの、大丈夫?って気づかって欲しかったのです。


夫はその後、娘に対して

「お母さんを困らせちゃいけないよ」

と言っていましたが、どこまで本気で言っているのか、単に口先だけの言葉のように、薄っぺらく聞こえました。


3人で夕食を食べている間も、私は落ち込んでしまい、うつむいていました。

夫も疲れていたのに、そんな私に嫌気が差したのか、

「もういい、お前はもう風呂入って早く寝ろ!」

と何度も言い出しました。

余裕があるときの私だったら、

「私が疲れているから気を使ってくれているんだ」

とプラスに受け止めたのでしょうが、今日は違いました。


「私が目の前にいるのが嫌なんだ、俺の前から消えろって言ってるんだ」

とありえないほどのマイナスに考えてしまい、涙が止まりませんでした。


そんな私を見て、「片付けなら俺がするから、早く寝ろ!」

と夫は言い続け、そんなことを言われると余計に自分を全否定された気がして

私は意地で片付けを済ませました。

そして片付けをしながら思ったのです。

このままじゃだめだ、と。

それで思い切って、

「私、ちょっとひとりになってくる」

と、8時半という時間に、外に出かけてくる、と伝えました。

夫は何も聞かず、

「分かった、気をつけて行って来い、11時までには帰って来い」

と言ってくれました。

夫の優しさだと思って、私は本屋まで出かけ、一人で色々考えながらうろうろしていました。


自分がすべて悪いこと。

娘にかわいそうなことをしてしまったこと。

夫にも嫌な思いをさせてしまったこと。

これからはもっと頑張ろうと思ったこと。


色々考えて、ようやく、反省の気持ちに至り、私は家に帰れる気持ちになりました。

夫に謝って、私の本当の気持ちを聞いてもらおう、と思いました。


11時過ぎに家に帰ると、娘はもう寝ていました。

私じゃないと寝なかった娘が、今日は寝ていました。

淋しいような、ホッとしたような気持ちでした。


夫は酒を飲んでいて、もうかなり眠そうでした。

酔っている時に話しても無駄だと思い、夫を先に寝かせて私もようやく眠れました。


朝になって自分ももっと落ち着いたら、昨日私が思ったこと、何に一番傷ついたかなど、心のうちを聞いてもらおうと思いました。

昨日の日曜日は、久しぶりに家族3人でお出かけしました。

いつもなら行かないような遠くの大きな公園に、電車を乗り継いで出かけたのです。

所要時間1時間。

長かったですが、プチ旅行のようで、とっても楽しかったです。


長い時間乗り物に乗っていると、飽きて泣き出してしまっていた娘も、今では機嫌よく外を眺めたり、周りの人に愛想を振りまいたりして、こちらもかなり楽になってきました。

長い電車の中でも、他人の目を気にすることなく乗れるというのは、親としては本当に肩の荷が下りる気持ちです。


大きな公園に着くと、そこはたくさんの家族連れの波!!

驚くほどでした。

世の中にはこんなにたくさんの家族がいるのだな、と当たり前のことにとても驚き、なんというか、ちょっと幸せな気持ちになりました。

どの家族も、同じ家族構成や年齢層でも、やはり少しずつ違っていて、その会話や雰囲気を見ているうちに、どの家族にも幸せな未来がありますように、と祈らずにはいられませんでした。


3人でお弁当を食べながら、お尻の下の草の感触を楽しんだり、遠くに見えるチューリップ畑を眺めたり、もうすでに食べ終わって遊びまわるよその子どもたちを見たり。

久しぶりに休日らしい休日だったと思います。

夫も、ここ1ヶ月ほど休みが無かったので、今日はとても嬉しかったようです。


娘は、自分用に作られた小さめのおにぎりを口いっぱいに頬張って、もぐもぐしながら、嬉しそうに夫の膝に座っていました。

どこへ行くにも離乳食を持ち歩いていた少し前のことを思えば、今は同じお弁当を分けられるという嬉しさが、心地よかったです。

娘も本当に大きくなったんだな、と改めて見ることできました。


それにしても、4月とは思えないほどのいい天気でした。

半袖だった夫は腕を焼き、帽子を被っていたにもかかわらず娘はほっぺを焼き、久しぶりにこんなに長いことお日さまの下に出た私は眩暈がして、へなちょこ家族は早々に帰途につきました。


帰りの電車の中で娘も夫も爆睡してしまい、心地よい疲れで、私も娘を抱っこしたまま、ずっとうとうとしていました。


家に帰って、のんびりと夕食の支度をしながら、足が痛かったり、まだ眩暈がしたりしていたけれど、とても充実した一日を送れたことを感謝しました。

こうやって一つずつ家族らしい一日を積み重ねていけたら、こんなに幸せなことは無いのだろうと、感じた一日でした。


娘は最近、電話が長い。


実際には、本当に誰かに電話しているわけではないので、彼女の長電話を咎めることはないのですが、本当に長いのです。


壊れて電源が入らなくなった私の古い携帯をおもちゃにして、

「はいっ!はいっ!」

と元気に返事をしていることが多いのですが、時には、とても困ったようなしかめっ面をして、ただただ頷いているのを目にすることがあります。

口を尖らせて、うなっているようにも聞こえます。

なにか難しい商談でもしているような顔です。

そしてまた時には、苦い笑顔を浮かべ、これまた困ったように

「うん、うん」と相槌を打っているようなときもあります。

彼女の年齢で、なにをそんなに苦笑しなければならないことがあるのだろうと、こっちが苦笑してしまいます。

電話を持ったままうろうろ歩いたり、急いでおもちゃに駆け寄ったり、片手間の動きも大人顔負けです。


それにしても、これらは全部私の真似なのか、と疑問に思います。

なぜなら、普段私は仕事の電話などすることもなく、話し相手といえば、実家の母か、帰るコールをしてくる夫くらいだからです。

たまに公共機関などに電話をすることはあっても、そう頻繁ではないと思います。

いったい何を見て、誰のまねをしているのか・・・


そう思って日々過ごしていると、気づいたことがあります。

それは、テレビ。

世の中にはなんと電話をかけているシーンのCMの多いことか。

ドラマにしても、携帯を取り出さない回など無いということに気がつきました。


娘は、毎日何気なく私がつけているテレビのワンシーンをしっかりと見てその脳裏に焼き付けているのではないかという仮説にたどり着きました。

というか、もうそれ以外に考えられないというのが本音です。

もちろん、私の真似も大いにあると思うので、私の行動とテレビの中の動きが彼女の中で連動して一つの現実として受け止められているのです。


ほかにも、両手を大きくたたいて口を大きく開け、まるでギャルのネタをしている時に柳原加奈子ちゃんのように笑う姿を見ると、やはり私の先の仮説は正しいのではないかと思ってしまいます。


1年半しかこの世界を自分の目で見ていないのに、こどもは物事の本質をしっかりと捉えて見ているのだと感じました。

大げさな言い方かもしれませんが、人間の進化の最初に一歩がここにあるように思います。

つまり、見たものの模倣。

自分の目で見たものをそのままに模倣すること。

人間の文化的な進歩はここから始まったと、学生時代の美術の講義で習ったことを思い出します。

模倣から創造へ。

人間は、まず見たものを真似して、次のステップでは自分のオリジナルとして何かを何かの方法で表現する。

そうして人間は文化を作り上げてきたのです。


娘の長電話という、単純に微笑ましい日常の成長は、実は人類の進化を、一人の人間に置き換えて見ているのだけなのです。


いや、実に深いものです。

単なる長電話から、こんなに深い考察が生まれようとは・・・

これからも、娘の行動から目が離せないと思った母でした。

公園や川の周りの遊歩道で、桜が満開を迎えています。

本当にきれい。

きれいという表現以外、私には適当な言葉が見つからないのがとても残念なくらい、

その桜の美しさは、心に響くものがあります。

遠くから眺めたり、下から見上げたり、いくら見ても

飽きないのが、桜だと思います。

日本人が昔から愛してやまない桜。

私も大好きな花です。

この季節にこの花を見ずに終わるのは何とももったいない気がします。


新しい春が来ると、人の心にも新しい風が吹き始めます。

若い頃には特に感じたことです。

毎年、春が来るとわくわくしたし、くすぐったいような懐かしいような匂いがして

今年こそ、新しい自分になろうと心を入れ替えたものです。


若かった頃にはなんの不安もなかったし、

将来に対する漠然とした希望だけが心を埋めていて、

この先の自分には、良いことしか起こらないと勝手に信じていました。


今は、そんなポジティブな考え方はできないし、

そんな都合のいい人生などないと、よくわかっています。


それでも、春になって、お日さまがにこにこ微笑んでいるような陽気になると

やはり、浮かれる心を抑えることはできません。


今年はどんな楽しいことがあるのだろう。

自分はどんな素敵な人になるのだろう。

そればっかり考えて、年甲斐もなく楽しくなってしまいます。


昨日はその陽気と前向きな心に引っ張られて、

ちょっと遠いけれど、とても大きな公園に、

お弁当を持って娘と二人で出かけてきました。


初めて外で食べるお弁当に、娘も大喜びで

おにぎりを5個もたいらげました。

小さな両手で、小さなおにぎりを持ち、口いっぱいにほおばっていた姿が

あまりに可愛くて、飽きることなく見つめ、私はずっと笑っていました。

桜の下で、二人で座って、時折風が吹くと

桜の花びらが、ざあっと音を立てて舞うのを見ていると、

とても幸せな気持ちになりました。


どうか今年も、家族3人、幸せに暮らせますように。


夫、二人だけ楽しんでごめんね。

次は一緒に行きたいと思います。

まだはっきりをしゃべることはできませんが、

娘がなんとなくしゃべるようになり、毎日の楽しさは以前に比べて

かなり増したように思います。


最近は、ご飯を食べながら、

「おいし~♪」

と言います。


「いないいないばあして」と頼むと、

「ないないっ ばあっ」と、手で目を隠しながら言います。


私がトイレに行くと、トイレの前まで追いかけてきて

「まま、まま」と呼んでいます。

(私は自分のことを「お母さん」と言っているのに、どういうわけか娘は私をママと呼びます)


犬を見れば

「あ、わんわん」と言いますし、

小さい子どもやアニメを見ると指を差して

「たあいい(かわいい)」と言います。


いただきますの時も、小さな手を合わせて

「いーっしゅ」と、それなりの発音をします。


1歳の頃には、「ばいばい」しか言えなかったのに、

あれから5ヶ月で、こんなにもたくさんのことが言えるようになり、

子どもの成長は早いと感じます。

親のすることや教えることを、一生懸命に見て、覚えようとしています。

親のすることをよく見ているんだ、と嬉しい反面、変なことはできないと

身を制することも考え始めたこの頃です。

子どもは乾いたスポンジのようにたくさんのことを瞬時に吸収する、と

よく言いますが、本当にその言葉のとおりだと思います。

よくもまあ、こんなにぴったりの表現があったものだと思います。


特にそれが顕著に見られるのが、電話です。


私が携帯で電話していると、娘のおもちゃの携帯にも電話がかかってきます。

彼女は上手に二つ折りの携帯を広げると、

「はい、はい」とうなづきながら話をしています。

時折笑ったり、顔をしかめたり、表情はころころ変わります。

お茶を飲むまねをしながら電話していることもあります。

私の真似なんだな、と苦笑するほかありません。

母はいつも見られている、聞かれているのです。

気をつけないと、夫の愚痴を言っている真似でもされたら赤っ恥です。


以前は私に向かって口を尖らせて、説教ばかりしていた娘ですが、

最近は私の言うことに頷いたり、何か返してきたり、

話は確かにかみ合っていないけれど、いい話し相手になりました。


あともう少ししたら、きっと「いや、いや」と言うようになるのでしょう。

魔の二歳児はもう目の前です。

しかし、その反抗期に関しては、気が重いというよりも、

その時自分がどういう風に娘をやり込めるのか、

はたまたどんな風に彼女にやり込められるのか、楽しみです。


たくさんおしゃべりしながら、口達者な心の強い子になってほしいものです。

そして、もっともっと私たちを楽しませてほしいと思います。