娘は最近、電話が長い。
実際には、本当に誰かに電話しているわけではないので、彼女の長電話を咎めることはないのですが、本当に長いのです。
壊れて電源が入らなくなった私の古い携帯をおもちゃにして、
「はいっ!はいっ!」
と元気に返事をしていることが多いのですが、時には、とても困ったようなしかめっ面をして、ただただ頷いているのを目にすることがあります。
口を尖らせて、うなっているようにも聞こえます。
なにか難しい商談でもしているような顔です。
そしてまた時には、苦い笑顔を浮かべ、これまた困ったように
「うん、うん」と相槌を打っているようなときもあります。
彼女の年齢で、なにをそんなに苦笑しなければならないことがあるのだろうと、こっちが苦笑してしまいます。
電話を持ったままうろうろ歩いたり、急いでおもちゃに駆け寄ったり、片手間の動きも大人顔負けです。
それにしても、これらは全部私の真似なのか、と疑問に思います。
なぜなら、普段私は仕事の電話などすることもなく、話し相手といえば、実家の母か、帰るコールをしてくる夫くらいだからです。
たまに公共機関などに電話をすることはあっても、そう頻繁ではないと思います。
いったい何を見て、誰のまねをしているのか・・・
そう思って日々過ごしていると、気づいたことがあります。
それは、テレビ。
世の中にはなんと電話をかけているシーンのCMの多いことか。
ドラマにしても、携帯を取り出さない回など無いということに気がつきました。
娘は、毎日何気なく私がつけているテレビのワンシーンをしっかりと見てその脳裏に焼き付けているのではないかという仮説にたどり着きました。
というか、もうそれ以外に考えられないというのが本音です。
もちろん、私の真似も大いにあると思うので、私の行動とテレビの中の動きが彼女の中で連動して一つの現実として受け止められているのです。
ほかにも、両手を大きくたたいて口を大きく開け、まるでギャルのネタをしている時に柳原加奈子ちゃんのように笑う姿を見ると、やはり私の先の仮説は正しいのではないかと思ってしまいます。
1年半しかこの世界を自分の目で見ていないのに、こどもは物事の本質をしっかりと捉えて見ているのだと感じました。
大げさな言い方かもしれませんが、人間の進化の最初に一歩がここにあるように思います。
つまり、見たものの模倣。
自分の目で見たものをそのままに模倣すること。
人間の文化的な進歩はここから始まったと、学生時代の美術の講義で習ったことを思い出します。
模倣から創造へ。
人間は、まず見たものを真似して、次のステップでは自分のオリジナルとして何かを何かの方法で表現する。
そうして人間は文化を作り上げてきたのです。
娘の長電話という、単純に微笑ましい日常の成長は、実は人類の進化を、一人の人間に置き換えて見ているのだけなのです。
いや、実に深いものです。
単なる長電話から、こんなに深い考察が生まれようとは・・・
これからも、娘の行動から目が離せないと思った母でした。