子育てをしているとなかなか取れないのが読書の時間だと思います。

出産前はよく本を読んでいた私ですが、出産してからは、時間があっても以前のように本を読むということがなくなったように思います。

疲れているから子どもと一緒に寝たいとか、家事をしなければならないとか、色々な理由をつけて、読書からは遠ざかっていました。


最近は少しずつ心に余裕が出てきたのか、本を読みたいと思うようになり、久しぶりに何冊か本を買いました。

その中で一番気に入ったのが、タイトルの、小川未明童話集です。


これより前に買った本の中に小川未明の短編が一つ入っており、それを読んだ時は本当に嬉しかったのを覚えています。

懐かしいような、でも新しい感動がありました。

昔、国語の教科書に載っていた、宮沢賢治の「やまなし」を読んだ時の感動に近かったと思います。

宮沢賢治の本はどれも大好きです。

そして、今回、小川未明の本も、とても好きになりました。

今まで出会わなかったのはなぜなのだろうと思います。

こういう幻想小説が最近はあまり無いように思います。

SFとか、ファンタジーとか、戦記ものとか、空想の世界の話を書いた本はたくさん売ってありますが、私にとってはあまり心惹かれるものはありませんでした。

だから、今回小川未明を読めたことはとても嬉しかったです。


こういう本は、疲れた心を解きほぐし、気持ちを穏やかにし、心を豊かにしてくれるものだと思います。

実際に、日々の生活に追われて疲れていた私にも、心の平穏が訪れました。

長くは続かないにしろ、こういう豊かな感情を得られる本があるということは、人間にとって、なによりも救いになると私は思っています。


しかしながら、未明も昔の文人。

現在の人ではありません。


宮沢賢治や小川未明のような幻想小説を、これからももっと読みたいと思う、読書の秋の一日でした。


世の中はシルバーウイークという大型連休。

しかし我が家では、夫は連日の仕事のため、

世間並みのお休みは、連休中一日だけでした。

本当に残念なことです。


その休日、せっかくの休日だし、どこかに出かけよう!

と柄にもなく張り切った私たち夫婦でしたが、

せっかくの休日にもかかわらず前日の夜更かしが後を引き、

結局朝起きたのは9時過ぎでした。


そこから、どこに行くかをリサーチし始めた夫ですが、

本当に運の悪いことに、ネット用のパソコンの調子が悪く、

起動しないというアクシデントに見舞われてしまいました。

結局、夫の不確かな記憶に従って、

ある展覧会を見に行くことに決まったのです。


しかしながら、その場所が何と言っても不確か・・・

とりあえず、出かけてみようという彼の言葉に促されて

家族3人で出かけたものの、

夫が連れて行ってくれた場所では、その展覧会はやっておらず、

受付の女性に確認したところ、似たような名前の別の駅であることが判明しました。

この時点で、私は今日の外出が失敗であることを察しました。


実は、私たち夫婦はこのようなことが、今までも何度かあったのです。

しかもそれは、すべてを夫に任せたとき。

任せた私が悪いのかもしれませんが、彼に任すと何かとうまくいかないのです。


仕方がないので、とりあえずはその場所で昼食にすることにしました。

レストランはたくさんあったのですが、最も近いエリアにあったのはバイキングが主で

疲れてお腹も空いていた娘を見かねたのと、なんとなく美味しそうに見えたので

低カロリー料理というお店に挑戦してみました。

これがなんと・・・

ほんとうに今まで食べたことがないくらい、イマイチなのです。

どの料理も、見事にイマイチ。

低カロリーということで、味が薄かったのでしょうか。

しかし揚げ物は見たことないくらい衣がついていましたが。

お互いの顔を見合わせて、妙な表情を浮かべる私たちに対し、

もうすぐ2歳を迎える娘は、

「おいしいねー」と微笑むではありませんか!!


こんなに美味しくない料理を食べてなお、微笑み、その上

「美味しい」という言葉を発する娘に、本当に申し訳なくなってしまいました。

娘は大好きな白ご飯を一生懸命食べていました。

可愛いやら、可哀相やら。

親の都合でこんな人が多いときに連れ出されて、

お店では、やれ触るなとか、早くおいでとか言われ、

本当に子供というのは親の都合で振り回されて可哀相だと

思ってしまいました。


その後、私たちはさっさと食事を済ませて、本当の展覧会の会場へと

到着したわけですが、なんとそこでも、

この連休の人出のせいで、チケットを買うためにも、会場に入るためにも

長蛇の列があったのです。

その人の波を見た瞬間に、私たちは全てを諦め、家路につくことにしました。

仕方がありません。

自分たちの事前リサーチが弱すぎたせいと、シルバーウイークをなめてたことが

最大の原因なのですから。


さて、家路につくわたしたちでしたが、途中で娘が寝てしまったため、

途中のカフェに寄ってお茶にすることにしました。

以前から行ってみたかった紅茶のカフェでしたが、私たちが子連れということで

なかなかふさわしい席が空かないと言われ、何人にも順番を譲りましたが、

さすがに限界だったので、2人掛けの席でもいいので、と申し出ました。

すると、

「はあ、しかし・・・周りのお客様が狭くなりますので・・・

隣のお客様に、お子様連れが隣に座ってもいいか確認してまいりますから」

という回答が。

これには夫も私もため息が出てしまい、

もういい、とその店に大変な幻滅をして、本当に家路につきました。

前々から行ってみたいと思っていたのに、もう二度と行かないでしょう。

子連れがNGなら、並んでいるうちに言って欲しかったです。

そしたら別のお店を気持ちよく探せたのに。

もはや私たちに他の店を探す力は残っていませんでした。


帰り道、夫が

「今日は本当についてなかったね。多分、俺のせいだけど」

と淋しそうに言いました。

多分二人のせいです。

一番可哀相だったのは娘だったと思います。

美味しくないご飯を食べさせられて、それでも美味しいと言うしかなくて、

見たら喜んだはずの展覧会には入ることさえできなくて、

外で売っている可愛い品々を見ることしかできなくて、

自分がいることでカフェに入ることを拒否されて・・・

娘が何も判らない年齢でよかったと思わずには、いられませんでした。

何も分からず、お母さんとお父さんに交互に抱っこされているだけ、

ちょっといつもより多い人の波にもまれただけ。


次からは、家族みんなが笑って過ごせるような休日の楽しみ方を

しっかりと考えて実行しよう、と固く誓った夫婦でした。


先日、家族3人で、城崎温泉に行ってきました。

私は学生時代に女友達と4人で行って以来、夫にとっては初めての城崎旅行でした。


娘も温泉旅行は初めてで、温泉が熱すぎるかもしれないという不安はあったため、露天風呂付きの部屋を奮発して予約しました。


お値段に相当する、いい宿だったと思います。

部屋に露天風呂がついているため他の宿泊客に気兼ねすることなく、家族3人で心行くまで温泉を楽しめたと思います。

ただ、部屋に付いている露天風呂は温泉の成分ではないというのはちょっと残念でしたが・・・


城崎という町は、温泉意外には取り立てて観光スポットは無いように思いますが、町自体が、情緒ある雰囲気で、私はとても好きな町のひとつです。

以前来た時も思ったのですが、温泉街は浴衣を着て、下駄を鳴らし、ゆっくりと歩き回るのが風情というもの。

しかしながら、城崎の温泉街は車も縦横無尽に走り回るため、気をつけないと事故を招くという、気持ち的にあまりゆっくりできない町でもあります。

特に今回はよちよち歩きの娘も一緒だったので、なおのこと気をつけないといけませんでした。

車の進入が禁止されていたら、本当に良い町だと思うのですが。


さて、北近畿3号で城崎温泉駅に降り立った私たちは、とりあえず宿に荷物を預け、海鮮を昼食に選び、普段は食べないような海鮮丼を満喫しました。

まだ生物を食べられない娘も、海鮮のてんぷらを一生懸命食べていました。


午後からはゆっくりと町を見て回り、ロープーウエイで温泉寺と展望台を見に行きました。

高所恐怖症の夫には恐怖の瞬間でしかなかったようですが、娘は喜んでロープーウエイから外を眺め、私が「高いね」と言うと、「たかいねえ、こわいねえ」と繰り返して、車内のじじばばの目を細くしておりました。


この旅行までの一ヶ月、夫は仕事が忙しくて、休みは一日もありませんでした。

やっととれた二日間の休みを旅行に当て、ゆっくりと温泉街で家族と過ごすことは、いい休養になったようでした。

娘としても、あまり遊べないお父さんと一緒にいられる喜びは大きかったようで、よく懐いていました。

家族で過ごすということは本当に大事なのだと思います。

いくらお母さんが毎日一緒にいても、家族はお母さんだけではないからです。

お父さんという存在は、子どもにとって大きいのだと、改めて思いました。


私としても、毎日娘とほぼ二人きりという生活は、息がつまるというほどでもないのですが、やはり、どこかで休養を欲していたように思います。

助けてくれる人というか、抱っこするのに疲れたときに変わってくれる人というか、自分以外に娘が頼れる存在が絶対に必要なのだと思います。

そういう意味で、今回は、私も一人による育児から解放されて、夫婦二人での育児というものが久しぶりにできて、ホッとしました。

今後も、できれば日々の生活の中で、そういう息抜きができたらと、思います。


今回の旅行で唯一つの失敗は、持って行ったデジカメが壊れていて、旅行中全く使えなかったということです。

おかげで携帯のカメラを使うことになったのですが、使い慣れていないため、デジカメほど使う頻度が多くなく、旅行の写真も必然的に少なかったということです。

特に、せっかくのおいしい料理の写真を撮るのを忘れていたというのは、本当に失敗でした。

次回の教訓にします。

次回の家族旅行は一体いつになるのやら・・・

できれば娘が3歳になる前に海外にも行きたいと企んでいる母なのでした。


8月31日を持ちまして、

娘・1歳10ヶ月が、おむつを卒業しました!


こんなに早い時期におむつを卒業するとは思っていなかったので

本当にびっくり&嬉しいです。


トイレトレーニングは、2歳の夏に始めると聞いていましたが、

実家の母の話では、私も弟も2歳前に卒業したとのこと。

もちろん、当時は布おむつだったので早かったのでしょう。

うちも生後ずっと布おむつで頑張った手前、トレーニングをやらないわけには行かない

と、1歳6ヶ月の時に、ゆるく始めてみました。


もちろん、うまくいくはずもなく、お互いにストレスばかりが重なり、

開始わずか1ヶ月でトレーニングを中断することになりました。

仕方がないと思いながらも、なぜ出来ないのだろうと、イライラもしました。


その時、2人の先輩ママに相談しました。

彼女らの経験から得た私の見解は、

おむつはずれには個人差があることと、始めるタイミングがあるということ。

そのタイミングを見極めて始めれば、2,3ヶ月で卒業できるとのことでした。


そこで、約2ヶ月中断の後、娘が急に、

「うーん、でた」と事後報告を始めたのです。

言葉が出てくるようになったタイミングと平行して、排泄の事後報告が

出来るようになっていたのでした。

驚きと共に、先輩ママの言葉に大感謝しながら、

私は娘をトイレに連れて行き、

「次はここでおしっこしようね」

とだけ言いました。


その後、おしっこの出る時間を見計らってトイレに座らせてみると、

3ヶ月前のトレーニングとは明らかに違って、

トイレに座った途端に、おしっこが出るようになってきたのです。

そして、徐々に、事前報告ができるようになり、

うんちもトイレで出来るようになりました。

こうなると、娘も自分で手ごたえを感じているようで、おしっこをしながら

「んー、でたねぇ」

というようになりました。

もちろん、うんちは報告する前に出てしまうことも多く、

なかなかうまくいかないこともありました。


しかし、8月31日、その1週間前くらいから、失敗はほとんどなくなり、

ついに、おむつはその長きに渡る役目を終えたのです。


今では、外出もパンツですし、外出先でもトイレが出来るようになりました。

先日は新幹線の動いているトイレの中でも、うんちができるという快挙に、

さすがの私も嬉しくて、娘の大いなる成長を実感しました。


実質、本格的に始めてから2ヶ月ほどでとれてしまったことになり、

本当にその子その子のタイミングがあるのだと分かりました。

失敗した1ヶ月間のトレーニングも、今となっては、いい経験だったのだろうと思います。

娘にとって、というより、私にとって。

トレーニング中は怒ってはいけないとか、気長に続けるとか、

色々なことが必要なのだとは思いますが、あの頃の失敗はすべて

私の焦りが原因だったような気がします。

その焦りを幼い娘に押し付けて、自分だけが苦労しているかのような私に

大きな責任があったように思います。


だからこそ、娘も嫌がってトイレに座らなくなってしまったのでしょう。

子どもは本当に親の心を敏感に察知するものなのですね。


今回のおむつ卒業も、頑張ったのは私ではなくて娘。

慣れないトイレに座るストレスも、遊びを中断されて連れて行かれるストレスも、

彼女が一人で乗り切ってくれたのだと思います。


娘も頑張りに感謝したい、そんな祝・おむつ卒業の日でした。




朝になり、私は夫に言いました。


「昨日はごめん、でもちょっとつらくて」


夫はちょっとめんどくさそうでしたが、今日以外に話す機会はないと思って、私は思い切って言いました。


「昨日、あなたは優しさからだと思うけど、早く寝ろとか早く風呂入れとか言われたことがつらかった。

目の前から消えろって言われてるみたいで。

お前なんか必要ないって言われてるみたいで。

娘を叩いたのは本当だけどそんなに激しく叩いたわけじゃない。

何があってそうなったのか、あかんやろって責める前に聞いて欲しかった」


すると夫は、


「早く寝ろって言ったのは、本当にもうお前と話したくなかったから。

娘を叩いたと言ったのは冗談だと思って相手にしなかった。

あんな時間に娘をほったらからして外出していいって言ったけど、本当は本心じゃない。

でも、行かせなかったらもっと面倒になると思ったから行かせただけ。

俺だって疲れているのに、自分ばっかりが疲れているみたいなこと言うな!」


と彼も本心をぶつけてきました。


正直言ってショックでした。


彼のやさしさだと思っていたことは、本当はやさしさではなかった。

そうしなければもっと面倒になるから、という自分本位の気持ちから出た言葉だったのです。


本当に驚きました。

昨夜、何も言わずに私のわがままを聞いてくれたと思ったあの言葉は、

私を気遣ったものではなくて、彼自身のためにもっとも良いと思った結果の言葉だったのです。


私は彼を誤解していました。

もっと優しい人だと思っていました。

私のことを本当に理解してくれている人だと思っていました。

誰よりも私のことを分かってくれていると・・・


でも違ったのです。


私のことを想ってなどいなかった。

自分のため。

自分のためだったのです。


そしてようやく気がつきました。


私はすべてを見誤っていた。


私のほうこそ彼のことを分かっていなかった。


他人に理解してもらうなんて本当に難しいことなのに、

夫が夫であるから、必然的に私を理解してくれているものだと

勝手に思い込んでいた。

自分のいいように彼を見ていた。


それが分かったとき、本当に心が壊れたのが分かりました。

心が折れたような気がしました。

そして同時に、これから自分がどう生きていけばいいか、分かりました。


私は決して本心を見せてはいけない。

夫でさえ、私を理解してくれることはない。

心にはいつも分厚いガードをかけておかなければならない。

傷つかないように、折れないように・・・


だいたい、私のような人間に、聖人のような優しい人が寄り添ってくれるはずもないのだ。

私には、この夫がちょうどいいのだ。

自分が成長しない限り、彼も成長しない。


分かってもらおうとはもう思いません。

そうしても無駄だと、分かろうとさえしてくれないと、やっと気がついたからです。

ただ、娘のために、私はここですべてを投げ出すわけにもいきません。

いえ、それ以上に、私はまだ夫を好きなのだと思います。

いつか、これからもっと何十年も寄り添っていれば、もしかしたらお互いのことを思いやれるようになるかもしれない。

結婚式で夫が言ったように、

「互いを思いやる気持ち」

がもっと大きくなってくるかもしれない。

今はまだ結婚して2年しか経っていないのだから、すれ違いは当たり前。

お互いを思いやれないのも、理解できないのも、当たり前。

これは神様からの試練だから、頑張って何十年もかけて乗り越えなければならない。


そう思ったら、折れていたはずの心がちょっと軽くなって、

涙が流れなくなって、笑顔になれました。


これからは、夫に甘えてはいけない。

夫なりの優しさだと勝手に解釈してはいけない。

いつもその言葉の裏に、行動の裏に、

彼の別の本心が隠れていることを忘れてはいけない。

彼の本心は、私が思っているような、優しくてきれいなものばかりではない。

むしろ、彼の本心は私の本心と一緒で、自分勝手なものなのだ。


結婚して約2年。

付き合ってから4年もたつというのに、そんな単純なことを初めて知った日でした。


これから私は笑顔で生きていこうと思います。

もう二度と娘に手を上げることも、夜に外出することもないでしょう。


私は今日から生まれ変わって、新しく生きていかなければ。


期待してはいけない。

自分本意の解釈をしてはいけない。

自分は未熟である。

相手も未熟である。

理解も思いやりも、一朝一夕にできることではない。

神様からの試練は、耐えなければならない。

自分は一人で生きているのではない。

でも、誰かに甘えてもいけない。

自分のことは自分で守るしかない。

自分の心は誰にも見せてはいけない。

近ければ近いほど、それ以上に近寄ってはいけない。

私は強く生きなければならない。


決心も新たに、私はこれからも頑張ります。