こんにちは!

 

 

なぎさです!

 

 

 

前回のお話はこちら↓

 

前回のお話でふれたように、

私は小学校中学年になっても

母がいないととてつもなく不安で

 

 

母が暗くなっても帰ってこないときなどは

ずっと大泣きしていました。

そうすることで、

不安を紛らわせていたような気がします。

 

 

なぜ

わたしは自分を大切にしてくれない

母親をそんなにも求めていたのでしょうか

 

 

 

そこには

母親自身の見捨てられ不安による

私への依存がありました。

 

 

 

小学校で友達と約束をして帰って

母にそれを告げると

母が怖い顔をして

 

 

「行ったらあかんよ」

 

 

といいます。

 

 

「どうして?」

 

 

と聞くと

 

 

「勉強してないから」

 

 

そういうので、

わたしは宿題を済ませたら行かせてもらえると

必死で早く宿題を終わらせて

 

 

「宿題終わったよ

行っていい?」

 

と聞くと

 

 

母は恐ろしい顔になって

「そんなんでちゃんと勉強できるわけない」

 

 

 

そう言って、家から出さないのです。

 

 

 

わたしは勉強さえすれば、後で出してくれると期待して

机の前で声がかかるのを待っていますが、

声がかかることはなく.....

 

 

 

 

そんなことが何度か続いた後

私は学校で約束した友達を

家まで一緒に連れて帰りました。

 

 

 

その子がいたら、母が家を出してくれるだろう

と思ったからです。

 

 

 

「お母さん

今日この子と約束してるの、

宿題が終わったら遊んでいいでしょう?」

 

 

 

けれど、母は

その子の前でも

いつもの怖い顔をして

 

 

「あかんよ」

 

 

というのです。

 

 

 

友達を連れてきても

遊びに行かせてもらえない...

 

 

 

予想もしていなかった答えに

私はまた、

絶望するしかありませんでした。

 

 

だからといって母は

家にいる私に、

話しかけるわけでもない

おやつを一緒に食べたこともない

 

 

ただ、「勉強しろ」

 

 

と部屋に閉じ込め

外に出さないのです。

 

 

 

かわいがってもらっていると

思っていた幼児期から

 

 

母は

わたしを手元から離さず

 

 

ほかの子と遊ばせず

二人だけの世界を作ってきました

 

 

幼いこどもにとって

母との密着の期間は

必要な時間であり、

 

 

 

私も

母との世界しか知らなくても

その時はまだよかったのですが、

 

 

 

小学生になって

今度は、

子供は友達や周りの人とのかかわりの中で

いろいろな経験をして

成長していかなくてはなりません

 

 

 

自分の世界を作って

自立していかなければならないのに

 

 

 

その大切な

機会と時間を

母は奪っていくのでした。

 

 

 

今思えば

母は

父もいない

頼れる人もいない生活の中で

 

 

 

寂しさを紛らわせるために

わたしをそばにただ置いておくことで

おもちゃのように

利用していたと言わざるを得ません。

 

 

 

それは

養父母のもとで

愛されずに育った母の

愛してほしい

自分を見捨てないでほしいという気持ちを

 

 

 

子供である

私に向けてのことだったと

わかるのです。

 

 

 

そしてまた

一人で行動させてもらえなかった私も

 

 

 

一人になることが怖くて

体は大きくなっているのに

だんだんと

母の元を離れられない子供に

なってしまっていたのでした。

 

 

 

これが、母の作った関係です。

 

 

 

明日のブログはお休みします🙇‍♀️🩵

 

 

次回は

幸せのラーメンの味

に続きます。