こんにちは!

 

なぎさです!

 

 

前回のお話はこちら↓

 

 

今日は私が初めて知った

幸せについて話そうと思います。

 

 

これも私が小学校中学年、

ある日の夜遅く

母がなぎさちゃん、なぎさちゃん

と呼ぶので

 

 

台所のテーブルまで行くと

テーブルの上には

ラーメンが置いてあって

 

 

父と母がめずらしく

ニコニコしながら

いすにすわっています。

 

 

そして、母が

「はよ、これ食べ」

 

 

といいます。

 

時々タララ~ララ

タラララララ~

(チャルメラ)

のコマーシャルで聞いたことがありますか?

 

 

独特の音楽を流しながら、

軽トラで売りに来る

ラーメンです。

 

 

私は嬉しくて

夜中だったけれど

椅子に座って

ラーメンを食べ始めました。

 

 

食べたかったラーメンを食べられること

そしてそれ以上に

父と母が仲良く笑っている事

 

 

そしてもっともっと嬉しいのは

私の右の椅子に父、

左の椅子に母が座っていることです。

 

 

この時

初めて、私は両親にはさまれて

食事を食べた、ただそれだけ、

そのことが嬉しかった

 

 

お父さんとお母さんに囲まれる。

 

 

それまで一度も感じたことのない

暖かさな幸せを感じていました。

 

 

この時ただ一度の経験でした。

 

 

あなたはどうですか?

 

 

こんなことよくありましたか?

 

 

お父さんとお母さんに

両方から手をつないでもらって

歩いた思い出があるかもしれませんね。

 

 

仲良し夫婦のもとなら、

子供は安心して素直にのびのびと過ごせます。

 

 

自分は愛されているんだ

 

 

ここにいていいんだ

 

 

 

と、子供は自分の存在を肯定的に感じることができるのです。

 

 

そして、自分の将来についても明るく考えられるのです。

 

 

一方

両親の仲が悪く、

眼の前でけんかを見て育つ子供はどうでしょうか

 

 

私は両親がけんかをすると

なぜか、自分が悪いんだ

と感じていました。

 

 

 

だから、もちろん自分に自身がなくなり

将来のことなどに目を向けることもできなかった。

 

 

 

後にも先にも

ただ一度

あの時のラーメンの味と

心の中のぬくもり

 

 

 

それが子供にとっての幸せと安心の土台

いつも感じていたい

目には見えない

幸せの波動だったのですね。

 

 

 

両親がそこにいて、

自分を見て

幸せそうに笑っていてくれる。

 

 

 

 

その当たり前のような光景が、

子供にとって最高の幸せであり、

 

 

 

子供が自分を愛して受け入れるための

土台なのですから。

 

 

 

 

次回

お誕生日の悲劇

に続きます。

#19お誕生日の悲劇 わたしの世界観 親に愛されたくて | A/C.カサンドラで悩むあなたへ。 (ameblo.jp)