認知症についての本を読んだり、実際に認知症の方に接しながら、「認知」について考えていると、本当にスピリチュアルな世界観につながるのが認知症なのかもしれないと思うこの頃です。
様々な記憶が結びついて、1つのストーリーとして組み立てられて認識されていく中で、拒絶したい過去や認めたくない出来事が改変され、独自の記憶として書き換えられていくことが見て取れます。
時空も理解も超えていくので、まるでSFの世界!
話していると、パラレルワールドに飛び込んでしまったような気分になります。
実際に、パラレルワールドが存在しているとして、これまで生きてきた世界の記憶と別世界の記憶が入り乱れたら、そんな話にもなるかもしれないなと。
そんな風に考えながら、「そうですか」「そうなんですね」と話を聞いています。
体験を通じて認知したものが記憶になるのですから、どう認知したかで記憶が変わっていくということですよね。
物をどこに置いたのかをうっかり忘れてしまった際に、それまでの行動を思い起こしながら、記憶をたどれることにも頷けます。
ところで、以前に切ない認知症で書きましたが、認知についてです。
認知は、全身の感覚を使って行われるもの。
考えてみれば、手で触れた感触、鼻で関知した匂い、肌で感じた温度や湿度、舌で味わった味、耳で聞いた音、目で見たものなど、全身で得た情報をもとに、頭で整理して認知するわけですよね。
手の感覚が麻痺してしまったり、耳が遠くなってしまえば、正しい情報を得ることができず、誤った理解を進めてしまうでしょう。
こうしたことの積み重なりが認知を歪めていくと考えると、高齢者だから認知症という考え方もおかしいのではという気がしてきます。
たとえは、すごく冷たいものを触った瞬間に、冷たいのか熱いのかがわからないことってありませんか。
また、たまたまボーッとしていて、話の内容を理解できない時などもあるでしょう。
人によって、肌の感覚が敏感な人、鈍感な人、耳がいい人悪い人、視力の強弱などもあり、こうした個人差をもとに物事を認知していると考えると、高齢者だけが認知症ということにもならないはずです。
誰もが、低めの認知力で物事を認識してしまうことがあり、それが勘違いにつながったり、たまたまあっていただけということもあるでしょう。
虫の知らせで災難を回避してしまうことなんかにも、認知力が影響しているかもしれませんよね。
そうやって考えてみたら、霊能力も似た類いのものなのかもしれないなと。
気配を感じ取る力の強弱には、肌感覚も影響していそうですし、何かが見えてしまうことにも、視力や乱視などが関係していることもありそうです。
霊が見える人、霊の声が聞こえる人、予感する人といった違いにも通じる話のようにも思えてきます。
その時のコンディションや、何に注意を向けていたかによっても違いが出てきそうな認知力。
普段は気にせずに認知して生活しているわけですが、たまには、どこから何を認知してそう判断したのかを考えてみると、新しい気づきがあるかもしれませんね。