エセ関西弁(?)のタイトルにしてみましたが、以下は標準語になります。笑
思いつく「自然」を並べてみましょう。
・森林やジャングル、山岳、海といった、自然環境
・野生動物や植物といった自然界の生き物
・天変地異や天候、気候などの自然現象
・「自然とこうなりました」という自然のなりゆき
・ありのままとしての自然という、ナチュラルなあり方
こんな感じでしょうか。
人間は文明を持ち、ほかの動植物や自然環境を脅かす存在となり、自然界からのはみ出しものとなってしまったとも言えそうですが、ほかの動植物について考えてみると、やはり似たようなところが浮かび上がります。
人間以外の動植物も、ほかの動植物を脅かしたり、自然環境を破壊することがありますよね。
文明を持たずとも、ほかの動植物を脅かすことは、原始時代の人間も同じだったはずです。
民家に巣を作るゴキブリやシロアリ、ネズミ、トリなども浮かぶでしょう。
ということは、文明を持った人間も自然界の動植物の一つと言えます。
人間が戦争をすると、ほかの動植物や自然環境が著しく脅かされますが、それも自然の流れとすれば、このままSFの物語のように人類滅亡の時代が訪れることも自然のなりゆきなのかもしれません。
核兵器はいけないもの、キケンなものですが、持ってしまった今となっては致し方ありません。
核反対というのは、倫理観があれば普通の考えでしょう。
けれども、核保有国は攻撃されず、核を持たない国が代理戦争をさせられているのも事実です。
核保有国間(米露中英仏)では、「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」として、防衛目的や侵略抑止のための核兵器であり、それが戦争回避に役立つとしていますよね。
核戦争は決してしてはいけないと本気で思うなら、さっさと手放せばいいのにそうせず、抑止力として残そうということは、普通の戦争なら問題ないということを遠巻きに伝えているような。
つまり、核を持たない国は、戦争をさせられるリスクが高いともとれます。
過去に紹介した映画『ジョーンの秘密』が、まさにここにつながるでしょう。
非核三原則は、戦争をさせられることを受け入れるためのものという解釈もできそうで・・・
一斉のーせで、世界の核保有国が核を手放せないのなら、いっそのこと各国に核を配ってしまうのもありだったりしてとも思えてきます。
ところで、核は不自然なものなのでしょうか。
そもそも太陽は毎日、核融合を繰り返し輝き続けます。
とすれば、核融合こそ自然現象の1つとなり、自然な武器の核であるともいえるのかもしれません。
自然は優しいですが、恐ろしく厳しく過酷であることもあります。
万が一、核戦争で人類や動植物が滅びたとしても、1万年もあれば新しい命が生まれ、「自然」がはじまるでしょう。
自然の力はすさまじく、人間の力はたかが知れている。
そう考えると、つまらない小競り合いや虚栄心を出したところで、『目くそ鼻くそを笑う』レベルを脱しないことがわかりますね。
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