〜たら、…れば
ありえないことなのに、両親の離婚がもっと早ければと現実から逃げたくなることがある。
ありえないことなのに…「もし」という仮定を考えないではいられないの。もうひとつ、あの時にあの人が…というのも考えてしまう。
tak.の両親は離婚するまで仲がよかった。喧嘩をするわけじゃなく父に外に女がいるわけでもなく…いい優しいお父さんだったと思う。ただ…tak.達だけに優しかったわけじゃなく、みんなに優しくてそれがネックになっていった。
自営業をする上でパパの優しさは仇になることが多く…結局事業を失敗したんだ。
パパが事業を失敗したことでtak.はしばらくその会社の窓口として矢面に立たされた。ママは事情がありパパのことに関わることは許されなかったから、tak.が自らその役目を買って出た形だったけどそれでも途中からきつかった。
顔中にきび作って…ストレス性の胃腸炎から10キロ近く痩せた。食べても吐くし下すしあの頃をよく仕事しながら乗り切ったと思う。
でね…何でママはもっと早くにパパと離婚してくれなかったの!?に繋がるんだ。
もっと早く離婚してればママは自分の財産使わなくてすんだのに…って。今みたいな苦労しなくてよかったのにって。
ありえない。「~たら、…れば」
考えたっていくら望んでも意味のない言葉。だから、tak.はこの言葉を使うことが嫌い。逃げてるみたいだし、なによりそれは今のtak.という自身を否定することだから。
でも、みんな。tak.も含めてその言葉を使うんだ。
使ってない!?
本当に!?
好きな人に彼女がいた、彼氏がいた。結婚してる。
そんな時に
「あの人に彼女(彼氏)より先に出会ってたら…」
「あの人に彼女(彼氏)より先に恋人同士になれてれば…」
思わない!?
思ったことない!?
本当に!?
tak.は思ったよ。
思い考えるだけ無駄なのにそれを思ったんだ。
自分が恋した人は恋人との経験を持った人だということを忘れちゃいけないんだ。
だからtak.がtak.であるためには今までの経験の全てが必要なんだよね。
嫌な思い出。
素敵な思い出。
すべてがあってtak.はここにいる。
だから「~たら、…れば」は使いたくないのに使っちゃうんだ…。
ありえないことなのに…「もし」という仮定を考えないではいられないの。もうひとつ、あの時にあの人が…というのも考えてしまう。
tak.の両親は離婚するまで仲がよかった。喧嘩をするわけじゃなく父に外に女がいるわけでもなく…いい優しいお父さんだったと思う。ただ…tak.達だけに優しかったわけじゃなく、みんなに優しくてそれがネックになっていった。
自営業をする上でパパの優しさは仇になることが多く…結局事業を失敗したんだ。
パパが事業を失敗したことでtak.はしばらくその会社の窓口として矢面に立たされた。ママは事情がありパパのことに関わることは許されなかったから、tak.が自らその役目を買って出た形だったけどそれでも途中からきつかった。
顔中にきび作って…ストレス性の胃腸炎から10キロ近く痩せた。食べても吐くし下すしあの頃をよく仕事しながら乗り切ったと思う。
でね…何でママはもっと早くにパパと離婚してくれなかったの!?に繋がるんだ。
もっと早く離婚してればママは自分の財産使わなくてすんだのに…って。今みたいな苦労しなくてよかったのにって。
ありえない。「~たら、…れば」
考えたっていくら望んでも意味のない言葉。だから、tak.はこの言葉を使うことが嫌い。逃げてるみたいだし、なによりそれは今のtak.という自身を否定することだから。
でも、みんな。tak.も含めてその言葉を使うんだ。
使ってない!?
本当に!?
好きな人に彼女がいた、彼氏がいた。結婚してる。
そんな時に
「あの人に彼女(彼氏)より先に出会ってたら…」
「あの人に彼女(彼氏)より先に恋人同士になれてれば…」
思わない!?
思ったことない!?
本当に!?
tak.は思ったよ。
思い考えるだけ無駄なのにそれを思ったんだ。
自分が恋した人は恋人との経験を持った人だということを忘れちゃいけないんだ。
だからtak.がtak.であるためには今までの経験の全てが必要なんだよね。
嫌な思い出。
素敵な思い出。
すべてがあってtak.はここにいる。
だから「~たら、…れば」は使いたくないのに使っちゃうんだ…。
RENT ― レント ―
ブロードウェイミュージカルの
― RENT ―
妹がレンタルしてきたのを一緒に観てました。
アメリカのイースト・ヴィレッジを舞台に描いたミュージカル。
元々、プッチーニの「ラ・ボエーム」がさらにベースに置かれています。プッチーニの「ラ・ボエーム」はパリを下町にしたオペラ歌劇です。主人公はこちらの― RENT ―と同じく若者達。ただ、何が違うと言われたら、「ラ・ボエーム」の中にはなかった題材が豊富に盛り込まれた、現代を描写し、辛辣に描いているということかもしれません。
おそらく、今tak.が― RENT ―と言っていてもわからない人多いかな~と感じる。「オペラ座の怪人」よりもずっと知名度的には低いような気がするしね・・・。
ただ、― RENT ―がわからなくても、曲がどこかで流れれば「あっ、この曲知ってる」と思う人も多いはず。
各言うtak.も曲が流れて、この曲知ってると納得したうちの一人です。
HIV(エイズ)
同性愛
犯罪
ドラッグ(麻薬中毒)
そして・・・
近しい人の死
暗い話の中に見出される一筋の希望の光。
そんな感じの話だとtak.は思ったんだけど、見た人によって結構受け取り方は違うだろうとも同時に思った。
こういう話を見ちゃうとなんか考えちゃうよね。
日本という国の平和な時代に生まれて、幸せにのほほんと生きている自分は本当に与えられた生を精一杯生きているんだろうかって。
自分の命粗末に扱ってないかなって考えてしまう。
本当のところtak.は自分の命どう思ってるんだろう・・・?
わかんないや。
どこにでも多分、今の日本でさえ、目を見開いて辺りを見渡して、人間に触覚があるならそれを伸ばしてみたらきっと見つかる光景。それも、別に無理に探そうとしなくても見つかってしまう光景が描かれているミュージカル。
決して、明るいミュージカルではありません。もちろん、暗いだけでなく、どこかに明るさもある。
人の心には常に希望があるという描かれ方は決していやなものではありませんでした。
タンゴ・ロック・バラード・R&B・ゴスペル
様々なジャンルの音楽が融合したそのスタイルは本当に素晴らしいもので・・・。tak.は大満足でした。
― RENT ―
妹がレンタルしてきたのを一緒に観てました。
アメリカのイースト・ヴィレッジを舞台に描いたミュージカル。
元々、プッチーニの「ラ・ボエーム」がさらにベースに置かれています。プッチーニの「ラ・ボエーム」はパリを下町にしたオペラ歌劇です。主人公はこちらの― RENT ―と同じく若者達。ただ、何が違うと言われたら、「ラ・ボエーム」の中にはなかった題材が豊富に盛り込まれた、現代を描写し、辛辣に描いているということかもしれません。
おそらく、今tak.が― RENT ―と言っていてもわからない人多いかな~と感じる。「オペラ座の怪人」よりもずっと知名度的には低いような気がするしね・・・。
ただ、― RENT ―がわからなくても、曲がどこかで流れれば「あっ、この曲知ってる」と思う人も多いはず。
各言うtak.も曲が流れて、この曲知ってると納得したうちの一人です。
HIV(エイズ)
同性愛
犯罪
ドラッグ(麻薬中毒)
そして・・・
近しい人の死
暗い話の中に見出される一筋の希望の光。
そんな感じの話だとtak.は思ったんだけど、見た人によって結構受け取り方は違うだろうとも同時に思った。
こういう話を見ちゃうとなんか考えちゃうよね。
日本という国の平和な時代に生まれて、幸せにのほほんと生きている自分は本当に与えられた生を精一杯生きているんだろうかって。
自分の命粗末に扱ってないかなって考えてしまう。
本当のところtak.は自分の命どう思ってるんだろう・・・?
わかんないや。
どこにでも多分、今の日本でさえ、目を見開いて辺りを見渡して、人間に触覚があるならそれを伸ばしてみたらきっと見つかる光景。それも、別に無理に探そうとしなくても見つかってしまう光景が描かれているミュージカル。
決して、明るいミュージカルではありません。もちろん、暗いだけでなく、どこかに明るさもある。
人の心には常に希望があるという描かれ方は決していやなものではありませんでした。
タンゴ・ロック・バラード・R&B・ゴスペル
様々なジャンルの音楽が融合したそのスタイルは本当に素晴らしいもので・・・。tak.は大満足でした。
昨日は落ち込んでみてた。 Part.2
またまたここに来るのに時間が空いてしまった。
仕事が忙しいと言うよりは体力的に限界だったみたいで、ネットにPCを繋ぐ時間さえ取れなかったと言うのが本当のところ。
今日で忙しかった仕事も一段落。また火曜日からは忙しい日常が始まるけれどとりあえず明日はちょっとだけお休みできそうな気配。
疲れが溜まっていると注意力も散漫になるし、仕事にミスが起き易いようで、これ以上のミスをしないために休みを取ることにしました。
題名にもあるように、昨日またミスをしちゃって・・・。こんなに短期間でミスを連発したのは初めてのことなので自分自身が許せない。(10/23の"昨日は落ち込んでみた"を参照のこと)
仕事でのミスって、どんな仕事であってもtak.の思考で言えば許されないことで・・・お金を貰っている以上決してミスはしちゃいけないものだと思う。ミスをしないように気を張って努力して仕事するのは当然のことであり、その努力はして当たり前。むしろ、なんで仕事中に気を抜いたんだって自分を責めている現状。
誰しもが同じスタンスで仕事に望んでいるわけではないけれど、とりあえずtak.は今の職種においてはミスは致命的だと思ってる。
tak.の仕事って要するに一発勝負の仕事場で挽回が効かない。同じ人たちとの交流っていうのはほぼ100%ありえないような仕事で、そんな中でその日1日のわずか数十分しか一緒に居ることのできない人達からギャラを貰って仕事しているのにtak.は昨日ミスをした。それは、駄目だろうと思う。
人として、全ての仕事を同じように完璧に行うことが難しい、むしろ無理だと言うこともわかってる。でも、tak.が昨日しなくちゃいけなかったことはそのミスを誤魔化して目立たないようにすることで・・・それすら出来なかった昨日のミスは本当に致命的。
ううん、誤魔化すために敢えてそのままにしたのだけれど・・・あそこで誤魔化したらきっと「間違えました」って言うようなものだからと思ってとった手段だったけれどそれすらが判断ミスだったかもしれないという事実が重く圧し掛かってくる。
案の定、来週の仕事をキャンセル→変更れた。それがいい意味でのキャンセル→変更なのか悪い意味でのキャンセル→変更なのかの判断がtak.自身では付かないというのも精神的にキツイ。
昨日ママにふと言われた。
「そんなに些細なことでそこまで落ち込むなら仕事変えれば?」
って。
でも、tak.この仕事が好き。
辛いことも多いけれど、ギャラも凄い低いし、はっきり言って割に合わない仕事だけれどこの仕事が本当に好きで仕方ない。
この頃はっきりしたのだけれど、結局、どんなに理不尽なこと言われても辞めれないくらいこの仕事が好きだからしがみ付ける限りしがみ付いていたい。
ママにも
「今すぐには絶対やめない」
と言い切った。その時は経済的なことを理由に挙げたけれどそれ以上に
好きだから辞めたくない。
と言うのが本音なんだ。
好きなことを仕事に出来たわけじゃない。始めた仕事を好きになれただけのことだけれど、それって凄い幸せだと思うし、実際tak.は今の仕事に関しては幸せだと思うから・・・。
だから、辞めたくない。
tak.を小さい頃から知っている人に
「まだまだ、いろんなこと経験するから、心を大きく持ちなさい」
と言われ続けてる。
「もっと大きな心で、ぶつかってきたことに対応しなさい」
と言われ、
「tak.ちゃんは絶対に大きくなれるから大丈夫。自分に自身を持ちなさい」
と言われてきてる。
tak.はその私にとって大切な、おばあちゃんみたいな人が言ってくれているように全てにおいて自分に自信が持てないし、器が今はまだ小さすぎると思う。許容量が狭すぎるというか本当に小さいんだと・・・。
もっと広い心でゆったりと物事を捉えられるようになりたいのにそれが出来ない。
仕事が忙しいと言うよりは体力的に限界だったみたいで、ネットにPCを繋ぐ時間さえ取れなかったと言うのが本当のところ。
今日で忙しかった仕事も一段落。また火曜日からは忙しい日常が始まるけれどとりあえず明日はちょっとだけお休みできそうな気配。
疲れが溜まっていると注意力も散漫になるし、仕事にミスが起き易いようで、これ以上のミスをしないために休みを取ることにしました。
題名にもあるように、昨日またミスをしちゃって・・・。こんなに短期間でミスを連発したのは初めてのことなので自分自身が許せない。(10/23の"昨日は落ち込んでみた"を参照のこと)
仕事でのミスって、どんな仕事であってもtak.の思考で言えば許されないことで・・・お金を貰っている以上決してミスはしちゃいけないものだと思う。ミスをしないように気を張って努力して仕事するのは当然のことであり、その努力はして当たり前。むしろ、なんで仕事中に気を抜いたんだって自分を責めている現状。
誰しもが同じスタンスで仕事に望んでいるわけではないけれど、とりあえずtak.は今の職種においてはミスは致命的だと思ってる。
tak.の仕事って要するに一発勝負の仕事場で挽回が効かない。同じ人たちとの交流っていうのはほぼ100%ありえないような仕事で、そんな中でその日1日のわずか数十分しか一緒に居ることのできない人達からギャラを貰って仕事しているのにtak.は昨日ミスをした。それは、駄目だろうと思う。
人として、全ての仕事を同じように完璧に行うことが難しい、むしろ無理だと言うこともわかってる。でも、tak.が昨日しなくちゃいけなかったことはそのミスを誤魔化して目立たないようにすることで・・・それすら出来なかった昨日のミスは本当に致命的。
ううん、誤魔化すために敢えてそのままにしたのだけれど・・・あそこで誤魔化したらきっと「間違えました」って言うようなものだからと思ってとった手段だったけれどそれすらが判断ミスだったかもしれないという事実が重く圧し掛かってくる。
案の定、来週の仕事をキャンセル→変更れた。それがいい意味でのキャンセル→変更なのか悪い意味でのキャンセル→変更なのかの判断がtak.自身では付かないというのも精神的にキツイ。
昨日ママにふと言われた。
「そんなに些細なことでそこまで落ち込むなら仕事変えれば?」
って。
でも、tak.この仕事が好き。
辛いことも多いけれど、ギャラも凄い低いし、はっきり言って割に合わない仕事だけれどこの仕事が本当に好きで仕方ない。
この頃はっきりしたのだけれど、結局、どんなに理不尽なこと言われても辞めれないくらいこの仕事が好きだからしがみ付ける限りしがみ付いていたい。
ママにも
「今すぐには絶対やめない」
と言い切った。その時は経済的なことを理由に挙げたけれどそれ以上に
好きだから辞めたくない。
と言うのが本音なんだ。
好きなことを仕事に出来たわけじゃない。始めた仕事を好きになれただけのことだけれど、それって凄い幸せだと思うし、実際tak.は今の仕事に関しては幸せだと思うから・・・。
だから、辞めたくない。
tak.を小さい頃から知っている人に
「まだまだ、いろんなこと経験するから、心を大きく持ちなさい」
と言われ続けてる。
「もっと大きな心で、ぶつかってきたことに対応しなさい」
と言われ、
「tak.ちゃんは絶対に大きくなれるから大丈夫。自分に自身を持ちなさい」
と言われてきてる。
tak.はその私にとって大切な、おばあちゃんみたいな人が言ってくれているように全てにおいて自分に自信が持てないし、器が今はまだ小さすぎると思う。許容量が狭すぎるというか本当に小さいんだと・・・。
もっと広い心でゆったりと物事を捉えられるようになりたいのにそれが出来ない。