イジメ・・・
金曜からずっと仕事でへばってこちらの更新サボってました。
寒さに負けて(PC環境のある部屋に暖房はない)書くのをサボっていたという理由もあるけれど・・・ここ何か学生時代を彷彿とさせる事件が多いですね。
<<イジメ>>
漢字にしたら、苛めで虐め。
小学生の頃、担任からアンケートをとられたことをふと思い出しました。要約すれば以下のような感じの文章を教壇で先生はtak.たちに話してました。
「○○君が登校拒否を起こしています。理由について思い当たることがあったら日記に書いて教えてください」
小学生の頃、担任の先生に日記を書いて提出するのが慣わしというか決まりごとで。毎日の宿題として課せられたそれがtak.は楽しくて、先生からのコメントを読むことが好きでした。
他愛もない一言が楽しかった。「何もありませんでした」と書けば「本当に?何もなかったの?」と返してくる先生。
そんな紙の上での会話が楽しくて、口に出せないことを書けることが楽しくて仕方なかったけれどイジメということに関して先生に何かを言ったのはあの時が最初で最後だったように思う。
tak.は先生に
「イジメになるかどうかはわからないけれど・・・○○君は確かに皆にからかわれていることが多いと思います」
みたいな文章を書いて渡したんだ。
後日、先生からはこんな言葉を貰った。
「○○君は、卒業まで学校には来ません」
多分、イジメという目に見えない暴力に対する処置として学校側が彼を守るために取った処置だったのだと思う。
子どもの目から見て、「イジメになるかどうかわからない」と書いた文章の裏であれはイジメと思っている自分もいた。
それでも、それを言葉にすることは決して出来なかったのだけれど・・・。
イジメって加害者側に自覚がないままで行われていることが多い、犯罪にならない犯罪であり、体が傷つかず、心が傷ついていく、目に見えない暴力である場合が多いから。
実は、tak.自身、イジメという行為の対象になったことがある。原因は、今思えば他愛もないことだった。あれから何年もたってみれば、イジメられたtak.の言動にも問題があったわけで・・・(tak.の場合それが自覚としてあるから)・・・他のイジメを受けている人たちが皆同じとは限らないけれど、イジメはする側<加害者側>の問題はもちろんのこと受ける側<被害者側>にも何かしらきっかけ、問題というよりは本当にきっかけがあったりすることはあると思う。
それは、ちょっと人見知りが強い、とか、肌の色が普通より白い、とか、××ちゃんよりも可愛い、とか、△君よりもテストで良い点取った、とか。今になって考えたらきっと他愛もないことだけど・・・結局のとこところ人間のコンプレックスという問題と、後は、小さくても、幼くても、誰かを好きという感情と、親達という子どもの背後関係が起因している場合が多いと思う。
イジメはイジメている加害者と言われている側にその自覚がない場合も結構ある。例えば、加害者にとっては遊びの一環。イジメとかではなく、ただ日常の一コマ。
日常の一コマになっていることがすでに問題だとしても、それが実際のところで・・tak.の経験に基づけばそれはある意味実証されている。
tak.をイジメていた同級生と成人式で会ったとき、こちらはもうすでに顔も忘れた(覚えていたくないから忘れた)人間からやけに親しげに話しかけられた。そして・・・懐かしそうに当時の話を持ち出された。
その当時の出来事がtak.にとっては思い出したくない一コマであることにも当然気づかないままで・・・。
でも、結局のところ、イジメなんてそんなもんです。
体格的に小さければイジメを受けやすいし・・・普段と違う。いつもはクラスの真ん中くらいに居る目立たない子が何か特技を持っていれば「出る杭は打たれる」じゃないけどイジメられてしまう。
そんなクラス環境って実際にあると思う。幸い、tak.は私立へと入ったから、その後はイジメを受けることはなかった。客観的に当時を振り返り、仲間の多い子どもでは決してなかったけれど、友人もまったく居なかったわけじゃない。そんな、でも、ちょっとクラスから浮いた子どもだったと思う。
小学生の頃の思い出があって、誰かと仲良くなることが怖かったし、今も若干怖いしね。人に本音を言うことが怖かったし、怖い。
少し、話を戻して当時のことを振り返るなら、小学校の卒業時に先生から言われた言葉
「お前がイジメられているとはわからなかった」
でした。
イジメという行為について、tak.は先生という存在に一度として相談をしなかった。学級委員という存在になったが故に始まった、ある種お決まりのイジメを増徴させたのは、先生に相談しなかった、tak.の態度にあったらしいということを言われ、頭にきたことを覚えている。
先生に対して。
「相談したら、先生は何かを変えてくれたの?イジメをなくしてくれたの?私を守ってくれたの?」
と突きつけて聞いたとき、先生は言葉に詰まっていた。
イジメは学校という存在は、被害者である受けている側はもちろんのこと、今も問題になっているように加害者であるはずの少年少女のことにまで気を配る。
当然のことといえば当然のことだけれど、その当然のことがあるが故に、イジメを受けている側が守られないことも多いし、親の背後関係が有ると・・・と言ったように、加害者側の親というのは、学校側に結構な発言力を持っている場合も多く、学校側が対処しないこともかなりある。
言葉に詰まる先生の気持ちもわかる。
小学生はきっちりと嘘のつける年齢。
自分の身を守ろうとすれば死に物狂いで自分を守る嘘をつく。先生はその嘘に騙されて・・・騙されたしまったらそこでイジメは終わらずループのように続いていく。
でもね・・・その場で「ごめんなさい」と例え誰かが謝っても、その「ごめんなさい」だけでイジメがなくなるなんてほとんどない。
イジメのないクラスなんて夢のようなものはドラマの中でしか存在しないし、ドラマの中でも存在しないように思う。多かれ少なかれ、目につき易い、つき難いの差はあってもどこかしらで行われていると思う。
本当は、先生が子どもの嘘を全て見抜ければいいけれど・・・そんな神様みたいな先生は少ないからきっとtak.の言っていることは夢物語でしかない。
そして・・・先生というのは以外に生徒の上辺を見ていることが多いから、イジメに気づかない。小学生であれ、上辺と本音は違う。
それがイジメに繋がる。
そして、中学生になればもっと巧妙になってくる。
だから、自殺してしまった子達に対して、もっと命を大切にと思わないではないけれど・・・。
大切な命を投げ打ってでも逃げたくなる辛さ回りが誰も理解できなかったそのことが悔やまれる。
イジメは加害者が加害者としての意識がないから親も「まさか、うちの子に限ってそんなことしません」というケースが多いけれど、そうじゃないと思う。自分の子どもを信じることも大切だけれど、<まさか・・・でも>と思う心を親に持って欲しいなと思う。
寒さに負けて(PC環境のある部屋に暖房はない)書くのをサボっていたという理由もあるけれど・・・ここ何か学生時代を彷彿とさせる事件が多いですね。
<<イジメ>>
漢字にしたら、苛めで虐め。
小学生の頃、担任からアンケートをとられたことをふと思い出しました。要約すれば以下のような感じの文章を教壇で先生はtak.たちに話してました。
「○○君が登校拒否を起こしています。理由について思い当たることがあったら日記に書いて教えてください」
小学生の頃、担任の先生に日記を書いて提出するのが慣わしというか決まりごとで。毎日の宿題として課せられたそれがtak.は楽しくて、先生からのコメントを読むことが好きでした。
他愛もない一言が楽しかった。「何もありませんでした」と書けば「本当に?何もなかったの?」と返してくる先生。
そんな紙の上での会話が楽しくて、口に出せないことを書けることが楽しくて仕方なかったけれどイジメということに関して先生に何かを言ったのはあの時が最初で最後だったように思う。
tak.は先生に
「イジメになるかどうかはわからないけれど・・・○○君は確かに皆にからかわれていることが多いと思います」
みたいな文章を書いて渡したんだ。
後日、先生からはこんな言葉を貰った。
「○○君は、卒業まで学校には来ません」
多分、イジメという目に見えない暴力に対する処置として学校側が彼を守るために取った処置だったのだと思う。
子どもの目から見て、「イジメになるかどうかわからない」と書いた文章の裏であれはイジメと思っている自分もいた。
それでも、それを言葉にすることは決して出来なかったのだけれど・・・。
イジメって加害者側に自覚がないままで行われていることが多い、犯罪にならない犯罪であり、体が傷つかず、心が傷ついていく、目に見えない暴力である場合が多いから。
実は、tak.自身、イジメという行為の対象になったことがある。原因は、今思えば他愛もないことだった。あれから何年もたってみれば、イジメられたtak.の言動にも問題があったわけで・・・(tak.の場合それが自覚としてあるから)・・・他のイジメを受けている人たちが皆同じとは限らないけれど、イジメはする側<加害者側>の問題はもちろんのこと受ける側<被害者側>にも何かしらきっかけ、問題というよりは本当にきっかけがあったりすることはあると思う。
それは、ちょっと人見知りが強い、とか、肌の色が普通より白い、とか、××ちゃんよりも可愛い、とか、△君よりもテストで良い点取った、とか。今になって考えたらきっと他愛もないことだけど・・・結局のとこところ人間のコンプレックスという問題と、後は、小さくても、幼くても、誰かを好きという感情と、親達という子どもの背後関係が起因している場合が多いと思う。
イジメはイジメている加害者と言われている側にその自覚がない場合も結構ある。例えば、加害者にとっては遊びの一環。イジメとかではなく、ただ日常の一コマ。
日常の一コマになっていることがすでに問題だとしても、それが実際のところで・・tak.の経験に基づけばそれはある意味実証されている。
tak.をイジメていた同級生と成人式で会ったとき、こちらはもうすでに顔も忘れた(覚えていたくないから忘れた)人間からやけに親しげに話しかけられた。そして・・・懐かしそうに当時の話を持ち出された。
その当時の出来事がtak.にとっては思い出したくない一コマであることにも当然気づかないままで・・・。
でも、結局のところ、イジメなんてそんなもんです。
体格的に小さければイジメを受けやすいし・・・普段と違う。いつもはクラスの真ん中くらいに居る目立たない子が何か特技を持っていれば「出る杭は打たれる」じゃないけどイジメられてしまう。
そんなクラス環境って実際にあると思う。幸い、tak.は私立へと入ったから、その後はイジメを受けることはなかった。客観的に当時を振り返り、仲間の多い子どもでは決してなかったけれど、友人もまったく居なかったわけじゃない。そんな、でも、ちょっとクラスから浮いた子どもだったと思う。
小学生の頃の思い出があって、誰かと仲良くなることが怖かったし、今も若干怖いしね。人に本音を言うことが怖かったし、怖い。
少し、話を戻して当時のことを振り返るなら、小学校の卒業時に先生から言われた言葉
「お前がイジメられているとはわからなかった」
でした。
イジメという行為について、tak.は先生という存在に一度として相談をしなかった。学級委員という存在になったが故に始まった、ある種お決まりのイジメを増徴させたのは、先生に相談しなかった、tak.の態度にあったらしいということを言われ、頭にきたことを覚えている。
先生に対して。
「相談したら、先生は何かを変えてくれたの?イジメをなくしてくれたの?私を守ってくれたの?」
と突きつけて聞いたとき、先生は言葉に詰まっていた。
イジメは学校という存在は、被害者である受けている側はもちろんのこと、今も問題になっているように加害者であるはずの少年少女のことにまで気を配る。
当然のことといえば当然のことだけれど、その当然のことがあるが故に、イジメを受けている側が守られないことも多いし、親の背後関係が有ると・・・と言ったように、加害者側の親というのは、学校側に結構な発言力を持っている場合も多く、学校側が対処しないこともかなりある。
言葉に詰まる先生の気持ちもわかる。
小学生はきっちりと嘘のつける年齢。
自分の身を守ろうとすれば死に物狂いで自分を守る嘘をつく。先生はその嘘に騙されて・・・騙されたしまったらそこでイジメは終わらずループのように続いていく。
でもね・・・その場で「ごめんなさい」と例え誰かが謝っても、その「ごめんなさい」だけでイジメがなくなるなんてほとんどない。
イジメのないクラスなんて夢のようなものはドラマの中でしか存在しないし、ドラマの中でも存在しないように思う。多かれ少なかれ、目につき易い、つき難いの差はあってもどこかしらで行われていると思う。
本当は、先生が子どもの嘘を全て見抜ければいいけれど・・・そんな神様みたいな先生は少ないからきっとtak.の言っていることは夢物語でしかない。
そして・・・先生というのは以外に生徒の上辺を見ていることが多いから、イジメに気づかない。小学生であれ、上辺と本音は違う。
それがイジメに繋がる。
そして、中学生になればもっと巧妙になってくる。
だから、自殺してしまった子達に対して、もっと命を大切にと思わないではないけれど・・・。
大切な命を投げ打ってでも逃げたくなる辛さ回りが誰も理解できなかったそのことが悔やまれる。
イジメは加害者が加害者としての意識がないから親も「まさか、うちの子に限ってそんなことしません」というケースが多いけれど、そうじゃないと思う。自分の子どもを信じることも大切だけれど、<まさか・・・でも>と思う心を親に持って欲しいなと思う。
昨日はコンサートでした。
この記事はタイマーによる投稿です。
時間設定しておくと好きな時間に記事がブログ内に掲示されるみたい。
今週は、夜の仕事は今日でお終い。
久しぶりに金曜の夜予定がないので、土曜の仕事にむけてゆっくりと休めるのが嬉しい限りだわ~。
この仕事を始めてそろそろ3ヶ月。実入りは微々たる量であっても増えたけれど、その分、何か大切なものを失っている気がする。
時間とか、自分のために使える時間、やっぱり失ってる。その分得ているものもあるけど、たまに普段自分の時間じゃない時間が、休みになるとtak.の中には「やったー」って言う気持ちが確かに沸いちゃう。
同時に、「今月は給料少ないわ・・・」とも凹むんだけどね(--;
― ないもの強請り ―
だって言われたことがあるけど、まさにそんな感じです。
肝心のお仕事は、昨日がコンサートでしたので急遽出勤。
ちょっとがんっばってきました。その分凄い疲れた・・・。
仕事してると、いろんな人が居ると実感しながらのお仕事の最中、やっぱり人はアルコールが入ると結構変わる。
こういう仕事場に携わり始めると「お酒」を飲むと言う行為がどんな風に人を変えていくかを目の当たりにしてしまって、幻滅すると同時に自分への戒めになります。
tak.個人のことで言えば、「以前よりも外でお酒飲むことが怖くなりました」って感じです。
時間設定しておくと好きな時間に記事がブログ内に掲示されるみたい。
今週は、夜の仕事は今日でお終い。
久しぶりに金曜の夜予定がないので、土曜の仕事にむけてゆっくりと休めるのが嬉しい限りだわ~。
この仕事を始めてそろそろ3ヶ月。実入りは微々たる量であっても増えたけれど、その分、何か大切なものを失っている気がする。
時間とか、自分のために使える時間、やっぱり失ってる。その分得ているものもあるけど、たまに普段自分の時間じゃない時間が、休みになるとtak.の中には「やったー」って言う気持ちが確かに沸いちゃう。
同時に、「今月は給料少ないわ・・・」とも凹むんだけどね(--;
― ないもの強請り ―
だって言われたことがあるけど、まさにそんな感じです。
肝心のお仕事は、昨日がコンサートでしたので急遽出勤。
ちょっとがんっばってきました。その分凄い疲れた・・・。
仕事してると、いろんな人が居ると実感しながらのお仕事の最中、やっぱり人はアルコールが入ると結構変わる。
こういう仕事場に携わり始めると「お酒」を飲むと言う行為がどんな風に人を変えていくかを目の当たりにしてしまって、幻滅すると同時に自分への戒めになります。
tak.個人のことで言えば、「以前よりも外でお酒飲むことが怖くなりました」って感じです。