わたしがとても尊敬する先輩方のひとりである男性がFacebookでシェアしてらして、
三宅洋平さんの選挙演説の動画を観ました。
わたしは5年くらい前から、
三宅洋平さんを知ってはいました。
もちろん山本太郎さんのことも。
もう黙ってられない。
そんな気持ちから、私にもなにか出来ることはないかなと、このBlogを書こうと思いました。
わたしは、
山本太郎さんや三宅洋平さんを、というか、
彼らの目指すような世界をずっと子供の頃から支持しています。
しかし彼らを支持していることを、心の中だけにしまっていました。
理由は様々ありますが、一言で表せば『保身』でした。
自分の価値観を政治に繋がるカタチで表せば、
どうしたこうした聞いてくる人もいましたし、
反対意見もいただきました。
わたしが伝えたいことは、
そんなことじゃないんだけどな、、と思いながら、
『ありがとうございます』としか言えなくて、
もう黙ってよう、と、決めた日がありました。
大人になってから気づいたのですが、
もともと、わたしの思想や価値観には、
『中庸』という自分の中心があるようで、
右だとか左だとか、上だとか下だとか、
善か悪かとか、優とか劣とか、
”差別化にも繋がる可能性を持つ区別”のようなものたちの存在に、わたしは、
まだうまく言語化出来ない幼少期からずっと苛まれていました。
自分の内側で感じ起きている感情や感覚を、
頭の中で再生される理想の世界のような映像を、
表現し伝えるすべが分からない。
相談するための言葉も知らない。
唯一、父だけは、なにを言っても聞いても、
納得して安心できるような結論を、
コトバや身振りを使い波動と表情とで、わたしに教えてくれていました。
それは今思えば、
私は父から愛を学んでいたんだと思います。
そのおかげで言葉の大切さを知り、
自分と他者が互いの気持ちや違いや共通点などを知るためには、かならずコトバは必要で、
たくさんの言葉の意味や違いも知りたいと思い、学校や読書でたくさん勉強しました。
興味があるのは国語と英語ばかりでしたが。
歴史や数学は生きていく上で最低限必要なことしか記憶せず知識に入れなかったので、
まったく詳しくありませんし、とても数字に弱いです。
でも16歳から寄宿舎での集団生活の中で、
学校の授業だけでは教わらない、
”言葉だけでは人の本心や真意は分からない”ということも学びました。
言葉と雰囲気の組み合わせ、
言葉と波動の組み合わせ、
言葉と眼差しの組み合わせ、
なにも言わなくても伝わるもの、
どんなに話しても伝わらないもの、
絶対に言語化出来ない大切なもの、
いろんなことを考え感じながら成長してきました。
無知なまま社会に出て、社会の仕組みや大人の価値観をある程度知って、
正直、ガッカリしていました。
大人として生きる上では、政治や歴史の知識も、
時にウワベのつきあいも、必要なのだと知りました。
それから少しずつ、興味や疑問が湧いたことから調べたり聞いたり教わったりしました。
しかし知れば知るほど、疑問が増えていくのが私の政治や社会に対する気持ちでした。
まっすぐに見れば見るほど、
まっすぐに聞けば聞くほど、
考えずに感じれば感じるだけ、
不思議で仕方ない矛盾してることの方が多く、
自分じゃどうしようもないことなのかも、と、
いつしか、興味を持つこともやめました。
そんなことより、自分の人生を考えよう、と。
でもどうしても、
『すべてはもともとひとつである』
という感覚が湧き出し、
自分や子供の未来のことを考えれば考えるほど、
人のことも気になり、
世の中の流れが気になり、
結局気づけば、幼少期に苛まれていた、
『いつも真ん中であること』の難しさ、に対する理由を考えていました。
世の中は、それが誰であれ、自分だけが本当に幸せを感じながら生きることはできないようになっているのだ、と気づきました。
誰かが何か得をしたら、
かならずどこかで別の誰かが何か失っている。
誰かが何か手放したら、
かならずどこかで別の誰かが何か手に入れてる。
すべての人に平等に与えられているのは、
生まれて死ぬまでの、”限られた時間”のみ。
時間をどう使うかは自由で、
時間を何に変えるかも自由で、
その時間の使い道を人生と呼び、
その時間の使い方で人生が変わり、
人生を豊かにするために道具が必要で、
その道具になるのが言葉やお金や知識で、
人生に発展性をもたらすものが人間関係で、
すべての人にはかならずなんらかの役割がある。
在るべきものが 在るべきところへ 在るべきカタチで
本当に平等に行き届いた上での平和な世界、、、
そんなことを考えたり感じながら、生きていました。
地球はとても広くて、
たくさんの人が暮らしているから、
ある程度の決まり事は必要だと思います。
その決まり事を、どう決めるべきかは、
本当に難しいことだと思います。
なにを優先して選択するかで、
根本から違った世の中になるんだと思います。
優先する、という視点以前に、
そもそも人は、の位置から考えてみると、
すべての人の人生を代表して、
よりよい発展性のために存在するのが、
政治家であり政治であればいいなと、
だからこそ、
暮らす地域や国の違い、人種や宗教観の違い、
思想や価値観や、そういうものを越えた視点からものをみれる人が代表者になってほしいなと思います。
そして今日、なにげなく、この動画を観ました。
とても感動して魂が震えて涙が出ました。
言葉、雰囲気、態度、眼差し。
わたしは彼から、
とても強い意志と、優しさと、寛大さと、誠実さと、
真ん中の愛を感じました。
今すぐに出来ることは、、と考えて、
言霊と時間を使うカタチで、ひとまずですが、
微力ながら協力させていただきました。
Blogに書いたのは、わたしの経験ですが、
貴重な時間を使って読んでくださりありがとうございます。
もしも共感してくださった方がいたら、
ぜひ、もう少し貴方の時間と感性を使って、
この動画をご覧になってみてください。
全編50分近くありますので、
お時間のある時にゆっくり、
感じてみてください。
想像してみてください。
考えてみてください。
きっと、あなたの役割と方法で、
なにか協力したくなる方だと想います。













