退院の日 | 原型師は燃えているか?

原型師は燃えているか?

見せてもらおうか そのオヤジの奮戦とやらを

友人に明後日退院になったから服を持って来て欲しいと言ったら、電話の向こうで狼狽が広がった。

私が驚いているくらいだから戸惑って当然だろう。

友人は他にも都や区の障害者認定の手続きもしてくれていたので、その都合上もあったらしい。

障害者証があるのとないのとでは、入院費が随分変わってくるから当然だ。

何とか明日の夕方までに外出用の服一式を持って来てもらう事にした。

 

しかし、リハビリで外出する時に着る上着がない。

正に着たきり雀なのである。

非常勤で行っている学校の校長先生が、お見舞いで差し入れてくれたスウェット上下があったのを思い出し、これを患者着の上に着る事にした。

家に帰るには、まず病院から駅まで歩いて電車に乗り、東中野で電車を乗り換えなければならない。

乗り換えの経路は階段も多く、結構距離があった。

歩けるのか?

明日、最後のリハビリで試すしかないか・・・

 

翌日午後、最後のリハビリだ。

初めて広々としたロビーに降り、出入り口から出て病院の外観を見た。

ああ、こんな形の建物だったのか、よく外の景色を眺めた7階のラウンジはあそこかと感慨深い。

外は1月らしく寒かったが、太陽が出ていて風もなく天気は穏やかだった。

周りにはこんなビルがあったんだなと思いながら、病院の近くを10分以上歩いた

段差も問題なく超えられた。

駅まで歩けるだろうし、明日退院しても問題なしという評価だった。

その後、友人が服を持って来てくれた。

心配してくれて明日は付き添おうか?と言ってくれたが、独りで何とかすると固辞した。

各種手続きをしてくれた友人を交え、今後手続き等についてケースワーカーさんとも話す。

あとは入院生活道具をまとめるだけ。

気がついたら病院だったが、救急搬送されたのが1月2日で今日が19日の20日弱。

長かったのか短かったのかよく判らないが、終わりは慌しいものだった。

 

退院日、朝食後の午前9時から12時過ぎまで透析の時間。

入院での透析は今日で最後になり、これからは通いで来ないといけない。

今まで透析は火、木、土曜の午前だったが、午前は入院患者用の時間という事で午後に変更されるという。

朝の混んでいる時間に電車に乗らなくて良かった、と安心した。

昼食を食べ、荷物をまとめる。

大きい紙袋3つになってしまい、意外に荷物が多く重い。

こうなるんだったら大型のリュックか肩掛けできる軍用のボストンバッグを持って来てもらうんだった・・・

そういう物は家にいくらでもあるのに(友人は普通の人なので軍用とか判らない)。

着替えて、荷物を持ちナースステーションに挨拶した。

仕事中か今日は出勤ではないのか、馴染みの看護師さん何人かが居なくて挨拶できなかったのが残念だった。

こうなると「今日で本当に終わるんだな」と何か寂寥感を感じてしまう。

 

救急隊員の皆さん、東京警察病院の何人もの看護師さんや医師の皆さん、技師や療法士やケースワーカー、栄養士等の諸氏には本当に御世話になりました。

 

エレベーターでロビーに降りた時点で既に疲れを感じた。

ヘリコプターで例えるとペイロードにエンジン出力が遥かに負けている感じだ。

透析後は本当に疲れやすい。

事務で入院費を清算したりして時間が過ぎる。

「イヤな予感がする・・・」

この荷物を持って電車で帰るのは無理と判断し、タクシー乗り場に向かってタクシーで帰った。

冬曇りのどんよりとした午後だった。

この判断は正解だったと後に思い知らされる事になる。