先日の『風立ちぬ』の記事に関して頂いた、きすかさん、APさんのコメントを読み考え込んでしまった。
それに対するレスを記事にしながら考えてみます。
この映画を見終わった直後の感想は、実の所「ううーん困った」というのが第一印象だった。
凄く良かったという訳でもなく、かと言ってダメだろというものでもないという。
ただ一つ言える事は、当時の人間を断罪していないという事が一番良かった点だと思う。
(断罪していたのはナチスと特高警察だけ←これだけが断罪対象に成り得るのか?という問題は置いておく)
ここはウエストール的歴史観(『ブラッカムの爆撃機』収録マンガ内に描写)が影響しているようにも思う。
鈴木Pの「兵器や戦争の事が誰よりも好きなのに、反戦主義って矛盾でしょ?」に対する答えは「ただ美しいものをつくりたかっただけだ(そこが良くて好きなんだよ)」という一点だけに集約させている所が「逃げ」とも受け取れる(かも知れない)。
「美しい」を「より高性能」と言い換えれば、もっと納得いくようにも思うのだが、物理法則である程度比較出来てしまう「性能」ではなく、「美しさ」と言ってしまった点がこの映画の難しさであり焦点だと思う。
「美しさ」は数値で比較出来ないものだから。
個人の好みは別として、「グラマンのF-4FやF-6Fに比べ、日本機全般は(概ね)女性的で美しい」と言った時に、何となくでも納得出来るマニアは多いと思う。
日本人が使う比喩として、グラマンの艦上機を「グラマン鉄工所製」と言ったりする事からも説明出来るだろう。
対比としてF-8Fが登場しない所がミソだ。
------以下この映画に対する、ある一視点での解釈=ネタバレがあります-------
ああああ。。。!
だから「儚く(死んでしまいそうで)美しい」女性が主人公のパートナーとして選ばれたのか!と、ここまで書いて納得してしまった。
映画のヒロイン菜穂子は日本機そのものだったのか、と今頃気づく私も鈍感だな(笑)。
いくら堀辰雄が好きだからと言って、堀越二郎物語にサナトリウム小説を混ぜる意味が判らなかったが、今更ながら納得。
センは細い(敵や病にヤラれやすい)が美しいというのは日本機と菜穂子の共通点。
二式単戦や雷電や紫電(ましてやドイツ設計エンジンを積んだ三式戦も)が影も形もないのは三菱の堀越技師を描いたからではなく、日本機の魅力を集約して判りやすく(?←マニアにしか判らんが)説明する為に省かれたという事になる。
日本機の魅力を伝えるには、零戦でもなく隼でもなく「九試単戦までで十分説明出来る」という自負が宮崎にあったという事だ。
この映画は恋愛模様を含めて、日本機賛歌だったという事か。。。
富野の「この映画の肝は航空映画」と言った『真意』が、今頃判ってしまったw。
劇中、航続距離を延ばすにはインテグラル式燃料タンクにせざるを得ないという会話が本庄さんとあり、被弾した九六陸攻が火を吹くイメージシーンがあるが、これは菜穂子の吐血と対になる表現となる。
敵や病にヤラれた機体や人は誰一人還って来ず、零戦が空高く飛び去って行くラスト。
『ベルリンの黒騎士』みたいだなと思った。
小学生の頃、松本零士『ベルリンの黒騎士』のラストを読み何度も泣いた私は、ここで泣かなくてはイケなかったのだ!!
あのマンガのラストと、この映画のラストは酷似している。
「自分の戦争」を終え、Me262で空高く垂直上昇するリヒター大尉の「さらば諸君、ついてくるな」(だったと思う)というセリフを思い返して、今、泣いてしまった。
初号試写で宮崎駿が泣いてしまった理由はここにあるはずだ。
「ついてくるな」というセリフは、残されたLWのパイロット(名前忘れました)や二郎(生き残った人々)にとって、「生きねば」=風立ちぬのキャッチコピーと受け取れるだろう。
菜穂子=ヘルベルト・フォン・リヒター大尉という事だ。
菜穂子が金持ちという設定は、「フォン(伯爵)」のつく貴族という点でも納得。
つまり、この映画は宮崎版(判りづらく作った)『ベルリンの黒騎士』なのでもあった。
本日の私的結論
1.日本軍機が好きな人は劇場で観た方が良い
2.戦場まんがシリーズが好きな人も観ると良いかも
3.この作品は堀越二郎物語ではなく、日本機の魅力説明映画
4.奈緒子は日本機の宮崎的萌え擬人化キャラでありリヒター大尉でもある
5.宮崎駿と松本零士の心性は酷似している(富野含む、ほぼ同世代の心性の一致)
6.もう一回観ようかな
極論
この映画に感動したり泣いた人は全員、日本機と戦場まんがシリーズを好きになる要素が備わっている(のかも知れない)
感動しなかった私は鈍感だったという事で。。。