ゆとり? | 原型師は燃えているか?

原型師は燃えているか?

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甘い認識や勉強不足な事に対して、「ゆとりだな」という揶揄をネットでよく見かける。
私はネットでも現実社会でも、「ゆとりだな」というセリフは一回も使った事がないと思う。
何故なら、私は「ゆとり」という単語に対するリアリティーのようなものを感じないから。
あまり腑に落ちない形容と言おうか。

私が大学に行き、つき合って来た学生は、いわゆる「ゆとり世代」なのだと思う。
私の接した学生は男女問わず、昔(私が前に学生だった時代=80年代)に比べ割に大人しい印象がある。
特に男。
男が中性的になり、女が元気なような気がした。
(だから卒制に「男の娘(こ)」モチーフを入れた訳だがw)

では、ゆとりと認定される言動とは何かと考える。
1.社会性が低いと感じられる言動
2.一般常識を含む知識の不足
これくらいか?

1、2共に、こういう特徴を持った人は、同世代にも居たように思う。
ただ単に、それを指す単語が「常識知らず」や「バカ」だったというだけ。
これでは、ゆとり世代特有の現象とは言えない。
実際感じた大人しさが、ゆとりという事になるのだろうか?

自分ではよく判らないので、同級生に自分達がゆとりって何か感じる?と聞いた事がある。
「ゆとり」という単語の認識に差があるかと思って聞いてみた訳だ。
その答えは「感じる」というものだった。
全体的に覇気がなくてやる気が薄い、責任感が薄いというような内容だったように思う。
自嘲的に自分達はゆとりだからな、という感じで使うらしい。
「やる気のなさ」「無責任」のようなものが、ゆとりを指しているのか。

なるほど、確かにガツガツというよりは黙々という感じではある。
これは「大人しさ」にも通じるような気もする。
でも、昔もそういう人が居たように思うけどな。。。
そういう人は目立たないので、記憶に残りづらいけど。

マスとして大人しい場合に、ゆとりと使えばいいのかな?
では、個人を指す形容ではない?

やはり、ゆとりって腑に落ちないのであった(笑)。