ガンスリ15巻 | 原型師は燃えているか?

原型師は燃えているか?

見せてもらおうか そのオヤジの奮戦とやらを

ガンスリの最終巻を読んだ。
取り敢えず四回。

見事に「歴史」と「人生」を描き切ったと思った。
ここで言う「歴史」とは、伝承の意味を多分に含むので、カッコ付きとした。
これが重要なキーワードだと思う。
生きる限り続いて行く人々の人生を描いているという事は、トリエラの「その後」の描き方を見れば明白だろう。
歴史と人生は相関関係にあるから、同義語とも言えるかも知れない。
だが、ここでは個人的に思い入れのある、クラエスの事を書こう。

クラエスの「人生」は、徹頭徹尾、実質上の父であるラバロ大尉との関係で成り立っている。
そのラバロ大尉の「娘」と「息子(達)」の対峙は見事な描き方だった。
「息子」とは、ラバロ大尉の教え(=伝承)を受けた事のある、カラビニエリ・パラシュート連隊の中佐だ。
「娘」と「息子」は、ラバロ大尉の「存在」で傷つけ合う事はなかった。
ラバロ大尉は既にこの世の人ではないが、彼女と彼の胸の中には厳然と存在しているのが判る。
伝承が歴史になっていく過程を見せているとも言える。

この事は、クラエスが育てていた植物を、山に植えるという行動でも示される。
種を蒔き、育て、旅立たせる。
ここに至り、クラエスは「母」となった。

ラスト。
クラエスが言った言葉をジャンは噛み締めた事だろう。
クラエスの「父」を奪い、沢山のものを失った後のジャンだから。
彼はクラエスの最後の時まで、「父」の役割を引き受けたのだと想像する。

このような状況を作り出した作者に敬服する。
人は娘であり、息子であり、母であり、父である。
見事だと言うしかない。

私は何故、クラエスに思い入れがあるのか?
頭の回転が早く、諦観をも含む、状況を受け入れる能力の高さが、私の娘と似ていたから。
私はラバロであり、ジャンなのかも知れない。

余談
私が現在単行本を買っているマンガに『カレチ』という作品がある。
私の父と同じ、国鉄末期の車掌や職員を描いているから好きなのだが、この作品でも伝承がキーワードになっている。
現代の日本で、「歴史」というものの再評価が始まっているような気がする。
だとすれば、歓迎すべき事だと思う。