Eleanor Rigby
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デジタル化に伴うアナログ配信終了のお知らせとそれに対する僕の想い

今日はビッグカメラによる機会がありました。
電化製品を並べて売るだけで儲けられるものなのかということ
について考えたこともありましたが、あの世界を創り出すのはそう容易
ではないかもしれないということで一旦丸く収めることにしました。
あれはあれで芸術的なモノであり、駆け引きがあり、切磋琢磨があるのかな
とはただ自分ひとりの独りごとの思考です。


テレビのコーナーは大変混雑していました。「地デジ」の関係ですね。

たしかに明日からテレビが見られないということ
には困ると感じる方は多いのかもしれません。
月9が見れないなんてありえない!スマップが見られないなんて…!
となれば今日買いに行きますわな。

かくいう僕は、テレビからしばらく離れているので、
観たい番組は一握りに集約されていまして、
最悪観れないなら観ないで構わないといったスタンスです。

もうテレビの時代は終わったということを聞いたり、
自分も好き勝手言うときもありますし、
「地デジ」移行という行事自体、国がらみの国民からの搾取にも感じたりと、
わるーい印象を持ったりとしていますが、

かつて、戦後、白黒テレビから流れる放送をかじりついて観ていた人たち、
カラーテレビになって感動した人々、
テレビというのは日本の経済成長とともに成長を遂げてきて、
進化のたびに喜ばれてきたモノであった。

しかし、今回はそれに準ずることはできていない。
もはやこれ以上の進化はないのかもしれない。


ここから、権力の消費について

勝手に戦後戦後使ってますが、具体的な説明から、
いつのことやねんとかははぶいてますが、
正直そんなことはわからないというか、それに割く時間がないです。

戦後に起きたというか、もっと前、明治維新くらい?
福沢諭吉あたりからの流れかと思いますが、

「天の上に人を作らず、天の下に人を作らず」

人って皆平等やで、
という流れに大衆が乗ったあたりからが発端かと思うのですが、

そのときから普通の人が、権力や特別なモノを入手していく
ということが始まったんだと思います。逆に言うと、
これまで力を持っていた人が、それらを奪われていった
ということになるのではないかと思います。


国にしても、天皇にしても、大企業にしてということでして、
それの一つの例としてテレビがあるのではないかということです。

最初のうちはテレビなんて誰でも出られるものではなかったかと思います。
それはもしかしたら神聖な場所であったかもしれない。
しかし消費して消費して消費していくと、
だんだん価値は下がってくるんだと思います。
気がつけば友達が映ってるし、
別にそんなに面白くも、興味も持てなくなっていたり…。


この構造の面白いところは、
その権力の衰退と言ってよいかわかりませんが、この現象の責任を
あとから入ったモノに追わせているところにあるかと思います。

長期的な方向としてはたいてい権力は減少していくと思うんです。
それをわざわざ下の責任にしてくれるところに
構造のなかに構造がというかんじです。

この前提としては、

①余剰利益を得ようとしているとき
②ピラミッド構造で上にあるモノが下から利益を得ようとするとき

という前提条件がありますが、

わざわざボランティアをする企業は無いので、
まず利益を出しにいくと思います。
そして利益を得た分だけ権力は減少していきます。
そして、テレビは国の力も借りてることも忘れ、俺たちが一番と思ってる


これから始まるのは
テレビがwebコンテンツに成り下がっていき、
webへとピラミッドの頂点が移行していくのかもしれません。

余裕のあるうちに、少なくとも日本人で共食いし合うのではなく、
世界を見据えて考えて行くことが必要かと思います。
web界の王者は日本にはおりませんので。
日本はコンテンツには強いですし。


いつか、地デジ生誕の2011/7/25が日本の逆襲の始まりだったとなることを祈り
そのときのBGMに使おうということで1曲♪




長文御拝見ありがとうございます。

1


初めてCDで聴いた洋楽がビートルズのベストだった。
これは過去の巡り合わせの中でも良き出会いだったと思う。

何を言っているかはよくわからないけど、
発音はとても聴きやすいし、口ずさみやすいのである。

少し前まで僕にとってビートルズは大スターの一人であるに過ぎなかったのだが、
最近、知恵をつけてくると、というか過去や事実について触れる機会を得てから、
ビートルズというグループへの見方も変わっていった。
単純だなーと思うのは、本当に下手すればたった一行の情報を知るだけで、
見方は180度変わったりする。逆に言えばそれくらい一行の文も大切なのかな。

ビートルズは大成功を収めているが、
実は商業的には先駆者だからこその大失敗もあり、
それが原因で解散に至っているというような情報も見た、真相はわからないが。

でも、ビートルズがロックで食っていく道を作ったらしい。
今音楽で夢を語れる人がたくさんいるのはビートルズのおかげでもあるのだね。


ここで
最近お気に入りの曲を1曲♪
震災以降QUEENがどうしてか話題になった。
そのときに僕は初めて知った曲だったのだけど、素敵です☆





ね、いいでょ!


音に励ましてもらい、
音に学ばせてもらい、

この先は自分でつかめよと
なげかけられる音、リズム、間。




『1』

1とはあらゆる可能性を秘めた幻想。
1とはすべての基本となるもの。
1とは辿りつく高み。
1とはかけがけのないもの。
1とはあなたであり、すべてである。

11111111以上111111111111

yesterday

今日やるべきことを丁寧に、真剣に、こなしていく

ただその繰り返しがとてつもなく大きなものに挑むための

唯一に近い手段というようなことをゲーテや他のどこかの人たちは

申していたようだ。

あたりまえといえばあたりまえだけど、

あたりまえの毎日があたりまえに続くと、

なかなかそのようなことを考える時間も割けないらしい。

「昨日」というタイトルは、

ブログ名が変わったことに大きく起因していることはさておき

昨日に誇りを持てないようでは今日にも誇りは持てない。

ただ今日次第で、昨日も変えることができるということはひとつの救いであるとも思う。

だから、やはり今日を真剣に生きるということに秘められた力は相当のようである。

昨日の話はここまで

◆今日考えたことの一つ◆

『人がある物事に真剣に向かっているということは

他人にとっては100%真剣に向かっているとはまず思われないであろう。』

真剣であることを他人に理解してもらうためにはどうしたらよいのか?

「私はやっている→いややっていない!」

もう、これは解決のない負の永久機関に感じる。

互いにぶつかりあっていては解決に繋がらない?

どちらかが折れるのもありであろうし、

どちらも折れずに最高の矛盾を作り出すのも一つの技法かと思う。

ただし、エネルギーは有限であるから、

どこかでなんらかのエネルギー配分は必要になる。

問題はエネルギーの調達とか、環境への影響など

当の本人たちからどんどん他に波及していく。

意外と物事に真剣に向かおうという姿勢は、

非我と出会ったときから第三者を含め問題をなんらかの問題を提示していく、

その問題は、収斂を重ね、ある本質まで研ぎ澄まされていくような気もする。

今日感じた『上記』のことは

マイナスに捉えるのではなく、わかってもらえていないから

生まれてくる何かのために存在しているのであって、

争うために存在する問いではないらしい。

以上

昨日考えたことでした。

Like The Beatles

ビートルズが好きである。
またビートルズのようになれたらとか思う。
正直に申しますとたまたまビートルズの曲を聴いていたので
ブログのタイトルが変わりました!


久しぶりの書き始めはやはり好きな本の話がしやすい。


謎の会社、世界を変える。―エニグモの挑戦/須田 将啓

¥1,680
Amazon.co.jp


エニグモさんの名前だけ先に知って、
名前だけではいったい何者なのかわからなかったが、
この本読んでよーく理解できた。
@Shokeiさんでtwitterのフォローも可です。

少し前のwebマーケティングで話題になっていたようだけど、
僕は全然気づかなかったがなぜかよくわからないけれど、
ただアンテナはって無かっただけかな。

僕自身、エニグモさんを知ったのが最近で、今現在もtwitterで話題になる企業なので、
マーケティング、起業、web2.0に興味がある方には是非オススメかと思います。
少し前の本になるので中古でお求めやすくなっておりますしな。



最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)/内田 樹

¥1,659
Amazon.co.jp


勝手に変わりまして内田氏、
僕がこれまた勝手に敬愛しておる先生です。

最終講義というだけあって、
相当気合いが入ったタイトルは、2011年の講演をまとめたものなのですが、
今年で60歳を迎えられてちょうど教授の職を辞職された年でもあり、
この本はその集大成にならざるえない本でもあり、
前おっしゃっていらしたなぁということがたくさんあるような気もしますが、
新しいことももちろんありますし、何より、最後の講義なんです。

内田さんを知ってる人にも知らない人にも
正直これはオススメしたくないんです。

僕だけが独占的に知りたいのでw
でもどうせ売れてしまうので紹介に上がりました!



気まぐれな性格のため続くがわかりませんが、
ブログ書けよと言った玉田氏にはある程度の感謝を表明致します。

thank you for resading for a long time ago!

ボランティアに参加しての気づき

こんにちは、たっちゃんです。毎度の御無沙汰ですいません。

書くネタは日に日に増えているのですが、少し自粛してます。

自立と孤立の間くらいにおりまして、いろいろ考えてる時期です。


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先日、名古屋市主催の「なごや子どもcity 2010」

という子ども向けのイベントに何日かボランティアで参加してきました。


子どもミュンヘンだっけ?キッザニアって東京で子どもの職業体験なんかができる

子どもの町みたいなコンセプトのやつわかります?


簡単に言うとそれみたいなやつで、

それを名古屋でもやろうっていう企画だったと思います。

ちなみに僕はただ当日の学生ボランティアで参加したので、

企画自体には何も関わってないです。



そこで感じたことは


・小学生も携帯電話持ってる子は持ってるんだ


・DSは結構皆持ってる、そんな中親とともに読書をして入場を待つ子、その違いはやはり親に?


・学生ボランティアの子に何でこのボランティアに参加したの?と聞くと

 「就活のときに履歴書に書けるから」というのが1人ではなかった


この3点が自分は気になった。



ケータイを華麗に操作する小学生にはある意味将来の子どもたちは

何をしでかしてくれるのか期待ももてるし、

もちろん逆にその弊害とも戦っていくことにはなるのだろうなと思った。


子どもとケータイやゲームとの関わり方は、

自分に子どもができたときになんらかのルールが必要かと思っているので

その現状を少しでも見れただけで得した気分



一応断っておくと、自分がこれに参加したのは、履歴書に書くためではないですよ。

参加してみないと気がつくことができなかった上のことなんかを知れる機会に触れたかったんです。


別に人が何かに参加するには何かしら得たいから参加すると思う

そのときの理由は別にこうじゃなきゃダメなんてものはないからそれでもイイと思う。


あえて否定するとしたら、

学校の先生に「就活のときに履歴書に書けるからって言われたから」

先生ってそれでよいのか?


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