最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦 -27ページ目

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「突然の異動で戸惑ったろう?けど、君を指名したのは私だ。」

「夏目主任が…僕を?」

病院付属の研究所勤務になり初日。
所属部署の主任は予想以上に歓迎してくれた。
そして研究所の現場は総合病院の外来よりも、遥かに人間味のある職場だった。

「『研究所』だから最新のコンピュータとアンドロイドに溢れた場所と思っただろうが、病理研究の分野はまだまだアナログ要素が残ってるんだよ。

「ええ、幸田医局長から少しは…。」

「基本は20世紀の小学生とやってることは変わらんよ。在原君のここでの使命は『観察日記』だ。マウスの僅かな違いを記録して、このパソコンにデータを入力してくれ。」

「そ、それは長秋様の秘書の私が…。」

「君がブリジットくんだね。
君と在原君とは人間同士の様なパートナーシップだと聞いている。勿論、君にも期待している。」

「主任、観察データの保存を最新型のアンドロイドに任せないのは…。」

「うむ、このパソコンの『シミュレーションソフト』こそこの研究所の命だ。
君や私が立てた『仮説』が液晶画面に『仮想未来』として再現される。これにより多くのマウスや臨床患者が助かる。
この意味がわかるね?」

「はい、今のアンドロイドの人工知能が最も苦手なことは『先を読む力』ですから。自動アップデート機能も、一定の方向へ考えを加速させるだけだ…。」

「その通り。新しい薬も、新しいオペも数えきれない失敗の中から生まれる。だが人工知能はそれを『無駄』と判断してしまう。まだまだ機械には任せられない領域だな。」

「全力を尽くします。ブリジットとともに…。」

****
二人は安堵していた。
新しい勤務地が自分達に良い流れをもたらし、屋敷での殺伐とした雰囲気も打開出来るきっかけになるだろうと。
勤務地は遠くなったが、二人で過ごすポルシェでの空間が長引くのは悪くなかった…はずだが…。

「お帰りなさいませ。
長秋様、至急にお知らせしたいことが…。」

「どうした、キャサリン?君が作るディナーより大事なことか?」

「はい、長秋様は研究所までお車を運転するのが大変だろうと思い…。」

「前から言ってるが運転が趣味なんだ。
それに関して助手席に座るブリジットに落ち度はない。」

いつもの陰湿な苛めだろうと聞き流そうと思ってたが…。

「私、遂に長秋様のポルシェを自動運転出来るプログラムを手に入れましたの。これからは私が送迎致します。」
帰りの車中

「長秋様はやはり今の病院に留まるおつもりですか?」

「あぁ、そりゃ探せば僕を必要としてくれる所はあるかもしれないが、今直ぐに…とはいかないよ。
ずっと診て来た患者達のこともあるしな…。
研究職そのものが嫌なわけじゃないが、追いやられてる感じがどうもな…。
まぁ、しばらくそっちの仕事をやりながら、外来や臨床にも顔出しながら引き継ぎだな。
と言っても、医者とは名ばかりの、ドクターアンドロイドを管理するだけの技術者にだけどな…。」

「私の中に集積されたデータも…ですよね…。」

「お、おいまた泣くのかよ、ブリジット。お前の方こそ、外来にそこまで思い入れがあったのかよ?」

「ち、違います。カルテの引き継ぎと思い、フォルダを検索しただけで、長秋様と患者様との温かいやり取りが記憶に…。」

「親切な患者の方から煮物料理を頂いたり、お子様の患者からお手紙を頂いたり…。私の記憶データの最も重要な部分に保存してありますわ。
上の連中は長秋様のそんな貢献も知らず…。」

「記憶データ?そんなの残してたのか?」

「申し訳ございません、私の一存で勝手な真似を…。」

「いや、ありがとうブリジット。
やはりお前だけは違うな…。
なぁ、ブリジット。」

「はい、なんでございましょう?」

「一段落着いたら、僕と遠くに行かないか?」

「遠く?遠くとはどれほどでしょうか?」

「そうだな…ドクターアンドロイドも、ナースアンドロイドも居ない…いや、僕と君しか居ない静かな田舎の医療困難地域に採算度外視で奉仕するのもいいかなって…。」

「私は長秋様にお仕えする執事兼秘書型アンドロイドです。
こんな旧型の私でよろしければ何処へなりともお供しますわ。」

「屋敷も手放して、キャサリン、マーガレット、グレースも手放してな。」

「静かな田舎での、グレースさんのガーデニングは見てみたいですわ。」

「じゃぁマーガレットは誰かに引き取ってもらって…。キャサリンは…。」

「埋めましょうか?」

「そうだな、ハハハー!」

「ただ…ここから離れるとなると…。」

「どうした…?」

「柿本様にはもう会えなくなるのですね…。」

「寂しいのか?」

「『寂しい』というワードが適切かは判断に迷いますが、私を物理的にも比喩的にも変えてくれた柿本様に会えないかと思うと、私の両の目からまたレンズ洗浄液が…。私はあの兄妹に何の恩返しも…。」

「真の主を失ったアンドロイド」

病院での仕事中も、ブリジットの思考回路はそのワードがフル稼働していた。
パソコンが多数のタブを開き過ぎると動作が遅くなるように、同時に二つのことを考えていたブリジットは、人間でいう「上の空」だった。

(真の主…。その可能性は考えなかったわけではありません。
私への辛辣な態度ばかり表だってますが、キャサリンは長秋様への優先度に疑問を抱く時があります。
新型の人工知能が判断をした(理想的とされる)お料理を提供する調理型アンドロイドと、ジャンクフードを好む長秋様とでは意見が合わないことはあるでしょう。
けどキャサリンはまるで他の誰かの命令かの如く、私ばかりでなく、長秋様にまで押し付けがましい態度を…。それは新型の人工知能とかではなく…。
考えられるのはやはり…忠誠の根源が長秋様ではなく、その上の…。)
****

「それで医局長は二つ返事で了承したのですか!?
じゃあ、僕はなんの為に!!」

ブリジットにある仮説が浮かびそうになった時、その考えを文字どおり思考停止させたのは、目の前の主の叫び声である。

「ドクター在原、どうか落ち着いてくださいませ。医局長はあくまで理事会の決定事項をお伝えしてるだけです。」

医局長は比較的、長秋の仕事も姿勢も高く買っていた方だ。そして秘書のブリジットにも優しく対応してデータのインプット、アウトプットを依頼される。
だが、彼の所有する新型のナースアンドロイドはキャサリンと同じ匂いがするから好きになれないブリジットだった。

「…今さら、僕に研究施設に戻れとは…前回のプレゼンの報復ですか?」

「在原くん、君の現場での貢献はわかってる。
だが、これは世の中の流れだ。
外来患者をドクターアンドロイドが診ることは出来ても、病理研究は人間の手が必要なんだよ。
どんなに科学、医学が進歩しても、新型ウイルスに新型ワクチン、新薬の研究に斬新な術式。現場よりも研究にこそ、人の手が必要な時代なんだよ…。」

医局長は心苦しそうに視線を下げた。
理事会と理事長に逆らえなかったのだと理解したブリジットは、彼もまた長秋と同じく消えゆくものを好む古き人間なんだと思い、この一月で最大級のレンズ洗浄液を瞳から溢れさせた…。

「医局長を責めても仕方ありませんね。失礼しました。
ですが、完全に研究室に籠るのはご免です。あくまで臨床データ重視ということで、現場には関わらせて貰う」続