「突然の異動で戸惑ったろう?けど、君を指名したのは私だ。」
「夏目主任が…僕を?」
病院付属の研究所勤務になり初日。
所属部署の主任は予想以上に歓迎してくれた。
そして研究所の現場は総合病院の外来よりも、遥かに人間味のある職場だった。
「『研究所』だから最新のコンピュータとアンドロイドに溢れた場所と思っただろうが、病理研究の分野はまだまだアナログ要素が残ってるんだよ。
「ええ、幸田医局長から少しは…。」
「基本は20世紀の小学生とやってることは変わらんよ。在原君のここでの使命は『観察日記』だ。マウスの僅かな違いを記録して、このパソコンにデータを入力してくれ。」
「そ、それは長秋様の秘書の私が…。」
「君がブリジットくんだね。
君と在原君とは人間同士の様なパートナーシップだと聞いている。勿論、君にも期待している。」
「主任、観察データの保存を最新型のアンドロイドに任せないのは…。」
「うむ、このパソコンの『シミュレーションソフト』こそこの研究所の命だ。
君や私が立てた『仮説』が液晶画面に『仮想未来』として再現される。これにより多くのマウスや臨床患者が助かる。
この意味がわかるね?」
「はい、今のアンドロイドの人工知能が最も苦手なことは『先を読む力』ですから。自動アップデート機能も、一定の方向へ考えを加速させるだけだ…。」
「その通り。新しい薬も、新しいオペも数えきれない失敗の中から生まれる。だが人工知能はそれを『無駄』と判断してしまう。まだまだ機械には任せられない領域だな。」
「全力を尽くします。ブリジットとともに…。」
****
二人は安堵していた。
新しい勤務地が自分達に良い流れをもたらし、屋敷での殺伐とした雰囲気も打開出来るきっかけになるだろうと。
勤務地は遠くなったが、二人で過ごすポルシェでの空間が長引くのは悪くなかった…はずだが…。
「お帰りなさいませ。
長秋様、至急にお知らせしたいことが…。」
「どうした、キャサリン?君が作るディナーより大事なことか?」
「はい、長秋様は研究所までお車を運転するのが大変だろうと思い…。」
「前から言ってるが運転が趣味なんだ。
それに関して助手席に座るブリジットに落ち度はない。」
いつもの陰湿な苛めだろうと聞き流そうと思ってたが…。
「私、遂に長秋様のポルシェを自動運転出来るプログラムを手に入れましたの。これからは私が送迎致します。」