今日で22年 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

あれから22年が経過しました。
流石に今日は創作小説は更新しません。
とてもバトルを描写する気にはなりませんでした。
そちらは後日更新しますので、またコメントしてくださいませ。

****
今でこそ成人の日は第2月曜日になってますが、当時はまだ1月15日に固定されてましたね。

高校生だった私は三連休明け(たしか1月15日が日曜日で、16日が振替だったはず)の学校が嫌だなと思ってた時でした(笑)。

修学旅行に着ていく服を男友達と神戸三宮に買いに行き、ボーリングをして遊び、成人式で人が多いことに文句を言ってた気がします。

本当にありふれた男子高校生の日常でした。

それがたった一晩で全てが変わりました。

1995年の1月17日の午前5時45分。
阪神淡路大震災は起きました。

担任の先生から連絡が入り、自分の安全を伝えた時には、その声に何とも言えない安堵を感じました。
とりあえず学校がはじまったのは1週間後に朝礼が行われただけだったと思います。

私が住んでた地区は比較的被害の少ない地域でしたが、ロック仲間の同級生はお父様を亡くされました。
被害の酷い地区から通う親友は、毎日の通学にも苦労してました。

町の商店は食料や生活物資が不足し、僅かに品物が残る店舗に長蛇の列が出来ました。

兄が自分の友人のバイクに乗せて貰って、隣の隣の市まで食料を仕入れに行ったこともありました。

遠い親戚から救援物資が届いたこともありました。

親友と楽しみにしていた修学旅行は中止になりました。
修学旅行積み立て金を返還して、見舞金に充てるという方法でした。

修学旅行が無くなりましたが、大嫌いなマラソン大会も無くなりました(笑)。

今日はまとまりのない文章で申し訳ございません。

忘れない為に…。
記憶の欠片を羅列するだけになってしまいました。

あれから22年。
震災後に生まれた子が親になってても不思議じゃないほど年月は過ぎたのですね…。。

その後の地震での迅速な対応や、民間の連携は阪神淡路大震災の教訓あってこそだと思います。

皆様の幸せな日常をいつも願っています。