交流してるブロ友の櫻井さんからの的確なコメントです。
「敗北主義」と揶揄されたショーペンハウアーの哲学(本人はそう言ってない)は、同じ大学、同じ哲学教授のヘーゲルほど講義に学生が集まらなかった。
この事が彼の哲学を大きく決定付けたと言えるかもしれません。
キルケゴール

も、6人の兄と姉を若くして亡くし、
「自分はキリストと同じ34歳まで生きられない」
と思い込みながら哲学や神学を学びました。
前回の記事に名前が挙がった
ヒュームも

そうです。
イギリス経験主義主義者に分類されますが、スコットランドに生まれてフランスに留学した経験もあります。
フランスなどの大陸ヨーロッパの哲学者は別の仕事や別の学問で生計を立ててるのに対して、ロックやヒュームは中産階級ながらも社交会を行き来する「ジェントルマン」であり、哲学で生計を立てられないものの、生活には困っていませんでした。
そんなヒュームは社交会の中で、
「愛くるしいセントバーナードちゃん」
とか
「ポッチャリ哲学者」
と呼ばれてました(笑)。
彼の哲学の
「観念は印象から来る」
は経験主義者の極致
「知らないことはわからない」
に通じるのですが、私からすれば彼のその体形が、思考さえも想像力の欠如した緩慢さかと疑ってしまいます。
逆にルソー

はフランスの哲学者とされてますが、スイスのジュネーブ出身で、若くして両親と離別して放浪生活を経験しています。
ルソーのこの体験から生まれた思想が後にフランス革命の引き金となったかと思います。
市民の暮らしの困窮を知ってたからこそ、哲学は過激であり、デンマークの教科書に名前が出てないのも、フランスはフランス革命で王室が亡くなりましたが、デンマークは現在も「王国」だからかと思います。
ヒュームとルソーは親交がありました。
互いに哲学的な文言を盛り込んだ書簡が残ってますが、ルソーは「ヒュームが私の手紙を勝手に開封した」と、一方的な誤解から絶交したってのが通説です。