王の権限と枢密院 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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デンマークの中学生が学ぶ歴史教科書には、少なくとも1375年には「枢密院(すうみついん)」が存在していた記述があります。

以下、教科書より
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枢密院は、政治、法律の制定、重要な裁判の判決にあたって王を補助する集会だった。枢密院は、国内の最も裕福な領主、国内の全司教、大きな修道院の長の20~40人で構成された。

王が選ばれる前に、王は憲章に署名しなければならなかった。
憲章とは、どのように国が治められるかについての枢密院と王との取り決めだった。
憲章にはまた、領主と教会が持つ特権についても書かれていた。
これによって、王権に制限が加えられた。
もし憲章を守らなければ、枢密院は王を廃位することが出来た。
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はい、議会制民主主義にはほど遠いですが、枢密院の存在は、王が専制政治を行なっていない証明であります。
思うにこれは日本の鎌倉時代、北条執権政治の「評定衆」に近いと思います。
代表が王を牽制するにしても、その代表は一般市民からはかけ離れてましたよね。

王が絶対君主で無かったのは、デンマークが「海洋国家」だったからだと思います。
当時、「貴族、聖職者、市民、農民」と4つの階級に分かれていました。

市民とは職人や商売人を指しますが、海洋貿易が国の税収を大きく占めると、王は商人や船乗りと良好な関係を築く必要があったと思います。
そういえば北条執権時代も、将軍は存在してましたが、世襲ではなく、北条家と有力な御家人から選ばれる形で、貴族はおろか、赤ちゃんの時に皇族から一般に降って、大人になって将軍に就任した「宮将軍」なんて呼ばれた方も居ましたね。

私見では海洋国家の方が大陸国家より専制になりにくいですよね。
これは陸地で農業をさせて税を搾るのは簡単ですが、海で無理矢理働かせたからと言って魚が沢山取れるわけでなく、自分がゴリ押しするだけでは貿易が成立しないことを指してると思います。

しかし、そんなデンマークでさえ、フランスの様な絶対王政を迎える時代が来ます。

それは決して王が身勝手な政治をしたわけではありません。

「市民に望まれた」
からだそうです。
理由は

「貴族への不満」

です。

税金は払わないくせに、スウェーデンとの戦争時に国外に逃げた貴族に対して、市民は王を世襲制にして権限強化を希望しました。
1660年、支持を得たフレデリク3世は無効となった印として憲章をナイフで裂きました。(続)