はい、今日は小説をお休みして久しぶりの哲学記事更新です。
肉体疲労MAXの今日は、図書館でキルケゴール全集8巻を借りてきました。
全21巻…。私の命がある間に読破出来るか心配です。
いえいえ、頭を使いすぎた人が運動でリフレッシュするのなら、身体が疲れた私は頭に負荷をかけようと思いました。
前回返却期限が来て読みかけのまま返しましたが、しおり紐を挟んだページがそのままでした(笑)。
やはり哲学書なんて誰も借りないですね。
では、本題へ…。
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幸運とインスピレーションとを必要とするものごとについて反復を欲することは、常に冒険なのだ。
いいかえれば反復のきっかけが与えらることによってそこに絶対的に要求されてくるものは、表現の創造力である。
かつて用いた自分自身の言葉を反復すること、ないしは運よく思いついた言葉を文字どおり反復すること、それは困難でない。
しかしながら同一の物事を反復するというのは、先例がずしりと控えているが故に難しくされた条件のもとでこれを変貌させることを、同時に意味するのである。
そして、かく反復されて提示される物事が以前と同一であるが故に、人名や舞台装飾や衣装やヘア・スタイル等の外面的変化を求める好奇心本位の読者ははねつけられてそっぽ向いてしまうのに対して、眼を開かれている読者は、かえってその内面的要求を一段と研ぎ澄まされる。
(キルケゴール著 哲学的断片への結びとしての非学問的あとがきより原文まま)
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はい、平たく言えば「同じモノ」を世に送り出すのに「同じこと」をしてはいけないってことです。
で、特筆すべきは、この文が19世紀中ごろに書かれたということです。
テレビも携帯もネットもない時代に、デンマークの哲学者キルケゴールは、新聞や舞台演劇や出版された本から既にこのようなことを述べていたのです。
舞台や本で考えるから難しいでしょうか?
スポーツの試合に考えてください。
過去に勝利した相手に、同じ状況、同じメンバーならば、次も必ず勝てるでしょうか?
過去の武勇伝を語るのは簡単です。
過去の勝利から教訓を得ることもあるでしょう。
原理原則は確かに存在して、突拍子もない奇襲が成功する方が珍しいでしょう。
だからこそ、だからこそ
「同じだった」
に人は惹き付けられるのです。
絶え間無い変化の過程において「同じ結果」を残した「進化の痕跡」に大衆は驚喜と安堵を得るのです。了