またまた久しぶりの哲学記事になりました。
なるべく難しくない筆致で進めますのでお付き合いくださいませ。
ルネッサンスとは「人間中心」という意味で、決して髭男爵のネタばかりではありません。
教会支配が強かった中世は、カトリックは腐敗していました。
日本語の比喩表現でも普通に使われる「免罪符」がその腐敗を象徴しています。
お金を払ってお札を買えば、罪を許されるという酷い教えてでした。
その腐敗に対して対抗によりプロテスタントが生まれます。
ざっくり分けるとカトリックは白マントの「神父さん」、プロテスタントは「黒服」の牧師さんです。
ローマ教皇はあくまでカトリックのトップですので、全てのキリスト教のトップではありません。
プロテスタントは腐敗した教会勢力に対して「聖書に還れ」をスローガンに宗教改革を実施します。
当時のイギリス王室がプロテスタントに改宗したことによりプロテスタントはもはや「抵抗、対抗」でなく立派なキリスト教の宗派となりました。
しかし、地位を確立してからのプロテスタントも問題が起きます。
「聖書が全て」は、紀元前に書かれた訓示的な比喩表現を含めて「何が何でも聖書は正しい」って考えに疑問を持つ者が現れだしたからです。
アダムとイヴが聖書の文言通り検証すれば800歳近く生きていたとか、聖なる箱を乗せた一頭の牛が、「少年が王になり隠居するまで歩き続けていたり」とか、現実に文言のみを追求すれば聖書は矛盾だらけでした。(この辺りはブッシュ政権が福音派だったことを考慮してください)
そしてここで世界の流れと違うデンマーク独自のキリスト教に対する考えが生まれます。
「教会主義」という考えです。
極端な聖書主義=福音派に対する折衷案の様とも受け止められ、考えの基本は
「市民に伝導出来たのは、教会の力があってこそで、主と市民の間を取り持つ教会があってこそ、あったからこそ万人の救いに繋がる」
という考えが、デンマーク国教会の主流となったのです。
キルケゴールは痛烈に批判しました。
信仰とはあくまで「個と神の間」にのみ成立するのであり、あくまで個人個人の主体的情熱によってのみ信仰は信仰であり続けると訴え、権威と形式のみにしがみつくデンマーク国教会と生涯闘い続けたのです。
若い頃のキルケゴールは、相手や自分に上も下もなく、
「お互い人間同士で居ようじゃないか?」
が口癖でした。
(続く)