明けましておめでとうございます。
今年も私の哲学と私の小説を宜しくお願い致します。
段々と新年が嬉しくなくなってくるというアラサーからアラフォーが視野に入ってきた私です。
そんな私が引用するデンマークの実存主義哲学者セーレン・キルケゴールの言葉
「年をとってゆく力に対して一つの抵抗をする力がある、それが完成である。」
はい、幼い頃や若い頃は時の経過は成長と発展の証でした。
しかし、いつの間にか時間が過ぎることは老化や衰えと同義に捉えてしまいます。
上記の言葉は人間が経験を積む大切さを端的に表現した言葉に思えます。
「匠」の業を磨くことは年を取ることが恥ずかしくない一つの証です。
機械化が進み、熟練の職人の絶対数が少なくなる現代を鑑みればこそ、
「死は永遠の悲しみではなく人生の完成」
という意味がわかるかと思います。
去年と同じであるはずがない、だからこそ人は考え、予測し、準備万端上で事に臨むのです。
それでも不測の事態はあるでしょう。
その時に他者に不平不満を漏らすよりは、穏やかな気持ちで現状に対処したいですよね。
幸運を当然に思いながら不運を神様のせいにするような人間にはなりたくないですね。
信仰は日常の延長にあるもので、大学の講義室や礼拝堂にあるのではありません。
日々の雑事を疎かにして地面に頭をこすりつけるのが宗教と思い込みたい人は、いつまでも神様と他人を悪者にし続ければ良いでしょう。
「人類は進化していると言うならば、親の世代で悩み尽くした事で、何故私も苦しまなければならないのか?」
これもキルケゴールの言葉です。
別に生物学に反論しているわけではありません。
「父母が恋愛に苦しんだら、私達は免除さてるのではないか?」
という様なことです。
青春は等しく訪れ、父母の世代は自分の経験を若者に語ります。
そして答えを模索中の者に模範回答を提示したがります(笑)。
苦しまなくて良い苦しみをさせたくない気持ちはわかりますが、結局は回り回って同じ答えを選択するんですけどね(笑)。
大切なのは道のりそのものです。
賢明な読者様は、個人の歴史と人類の歴史を照らし併せた上で以下の私の言葉を察してくださるでしょう。
「有史以来…なんて言葉使う人いるけど、ロバは産まれて二時間位で立つよ。」by SPA-k
今年も宜しくお願いします。