※本日は二回更新です。
最終回を読まれてない方は先にそちらを
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永田
拓哉の中学の生徒会副会長となる。
野球部所属。
双子の弟はバレーボール部。
児山
見事にお受験に成功。
有名私立中学に合格し、今頃日本を支えてるんじゃねえの?
岸元
相変わらず成績は上がらず、中学では女の英語教師に散々馬鹿にされ、進学を断念。
しかし、中卒で入社したゴム工場で人一倍真面目に働き主任となる。
「不良上がり」ではなかった為、上司やヤンキーの後輩から信望も厚く、また体格も拓哉を上回るほど成長していた。
林
拓哉達と同じ公立中学へ。
永田兄と同じ野球部に所属し、一年生から中心選手へ。
野球推薦の話もあったが、拓哉と同じ公立高校の普通科へ進学。
高校ではハンドボール部所属。
正田
相変わらず誰とも打ち解けようともせず、中学では「帰宅部」を選択。
長谷部
中学では陸上部に所属しエース級の働きをする。
スポーツ万能ぶりは中学でも健在だった。
松嶋
いつの間にか引越してたようで、拓哉と同じ中学には進学せず。
茂松さん
「男勝り」が悪い方に転化し、中学三年頃には地元では有名なレディースに変貌。
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エピローグまでお読みくださりありがとうございました。
お読みのくださった方はわかると思いますが、拓哉少年は私自身をモデルとしています。
限りなく実話に近い創作にお付き合いくださりありがとうございました。
拓哉という名前は、高校生の頃はSMAPの木村拓哉さんに似てると言われてたからです(笑)。
最近じゃサッカー日本代表の長谷部誠選手か、巨人の外野手の松本哲也選手に似てるって言われますね。
なお、小学6年から中学時代に「提督」と呼ばれていたのは、某プロ野球チームの監督と同じ名字だった為に「監督」と呼ばれてたのを、
「監督と呼ぶな!提督と呼べ!」
と言ったからです。
それは当時熱中してたゲーム「大航海時代」からです。
まぁ、傍若無人に我が道を行く様は、間違いなく「提督」だったかもです(笑)。
「道」と言えば、この日の運動会の帰り道ほど気持ち良かったことはなかったですね。
私の活躍を見てくれた母が先に家で待っててくれてるのは何とも気分が良かったです。五人も抜いたことは、その時母から初めて知らされました。
あの時の気分の良さは、高校に合格した事を報告する時以上でした(笑)。
そして今、私はブログを書いています。
終