それはあっけない幕切れだった。
あと一分、いや30秒もあれば、最前線の林くんの騎馬が白組の大将を攻略してただろう。
しかし、結果は拓哉と林くんの居る赤組の敗戦。
落馬後に拓哉の帽子を取った行為を「有効」とし、大将馬である拓哉の敗戦により負けが決定した。
3-0の勝利より、2-1でバランスが取りたいのが見え見えだった。
25年経過した今でこそ「日教組の左翼思想を基軸とする平均化製造システムは~」
なんて抗議出来るが、当時12歳の拓哉でも
「行き過ぎた平等による不平等」
を感じた結末だった。
「人生万事塞翁が馬」
とは良く言ったものだ。
練習中に散々罵倒された「大将の資質」では瞬殺されても文句は出ず、期待されてない一騎打ちで大活躍し、総当たり戦では自分達は見向きもされずに生存に成功したのだから。
結局、人は見たいモノを見たいように見て、好きなモノを好きな様に解釈している。
大衆は何処までもヒーローをヒーローとして扱いたいし、凡人の努力は、賞賛する自分を凌駕しない範囲で賞賛したいものなのだ。
「天才が世の中を作るのか?世の中が天才を欲するのか?」
との命題があるが、当時の拓哉少年が抱いた感想は
「天才も天才を欲している。
自分とは違う資質の。」
が結論だった。
それは25年が経過して同じ部分も違う部分もある。
天才は異質の天才の前では凡人になるのだから…。
それを理解出来るからこその「天才」かもしれません。
タイトルの
「あの子と遊んじゃいけません」
はそんな大衆が凡人に抱くレッテルへのアンチテーゼとして、このタイトルとさせて頂きました。
「『普通の子』なんて世界に一人も居ない」
その思いはあの日から少しも変わっていません。
『あの子と遊んじゃいけません』(完)
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追記
拓哉
語り草となる五人抜きに成功したものの、自分の力不足を感じ、これをきっかけに中学では柔道部に入部。
後に中堅の公立高校普通科に進学。
興味のあった歴史や哲学よりも、「成績がいいから」「受験科目が優位だから」の理由で、文理系クラスながらも薬学部に合格。
後にこれが中退のきっかけとなり、就職まで苦労するが、その途中のバイト先で生涯の伴侶となる妻と知り合う。
佐野
拓哉が柔道を始めるきっかけは彼の影響も大きい。中学時代は拓哉とともにレギュラーを務める。
拓哉より上位の公立高校に進学し警察官となる。(続く)