拓哉は感受性が人一倍強い子だった。
読書感想文や道徳の授業でVTRを見終わった後のレポートは常にクラスで最も優秀だった。
その感受性が、他者のネガティブな感情や他人が抱く自分に対する苛立ちに敏感にさせた。
それは拓哉を繊細な少年に育てたが、繊細さは脆弱さと諸刃の剣であった。
確かに幼少期の拓哉は警戒心を磨き、回避することでしか自分を守れなかったかもしれない。しかし、培われた感受性と成長期に入った肉体は拓哉に違う方法での守り方を示唆し始めていた。
クラスメート全員が松嶋の一語一句を真剣に聞き入る。
それはリレー代表の補欠1位の松嶋が、どれだけ正規メンバーに入りたかったか、そして直近にインフルエンザにかかった事がどれほど悔しかったかが痛いほど伝わる内容だった。
拓哉は勝手に「松嶋は補欠1位」と決めつけていた。最初から補欠を受け入れ、レギュラーになれるわけでもなく、拓哉に抜かれる事もないポジションを難なく受け入れてると思っていた。
しかし、彼がインフルエンザで連続欠席が続いたことにより、知るはずのなかった他者の心情を知ることが出来たのだ。
松嶋は締めくくりを述べようとし、
「…まだまだ体調に不安があるし、組体操や騎馬戦に専念したいので、リレーの代表4人に何かあった時は、拓哉くんに任せたいと僕は思います!」
話終わると同時にクラス全員からの拍手。
真摯な松嶋の話への賞賛の拍手だが、拓哉はクラスメートが自分への「承認」の拍手にも思えた。
拓哉は自分の名前を呼ばれた事が理屈抜きに嬉しかった。
「次の子」「他の子」と呼ばれなかったからだ。
そしてそのきっかけを与えたのは担任の犬井先生だった。
生徒の自覚を最優先するベテラン男性教師は常に誤解と背中合わせでPTAからの苦情も多かったが、拓哉は尊敬していた。
騎馬戦で大将としての叱責を、犬井先生への恨みに変えるのは簡単だった。
しかし、それ以上に拓哉は期待に応えたかったからだ。
なんせ、6年1組はくじ引きではなく、「話し合い」で席替えが成立する唯一のクラスなのだから。
犬井先生は大袈裟に松嶋を賞賛することなく、自分の事を語った。
それは息子さんも6年生で、2ヶ月後には最後の音楽会があるのだが、当日の日が我が校の音楽会と重なってるとのことだった。
父親として息子の最後の音楽会くらい、見に行ってやりたいと。
クラスメートにその熱い想いを告げ、皆に了承されたのだ