拓哉の休み時間は専ら騎馬戦の練習だった。
クラスメートが鬼ごっこやドッジボールに興じる中、拓哉達の「大将馬」はひたすら騎馬を組んでは立ち上がる練習だけをしていた。
騎馬戦の帽子の取り合いなんて高尚な練習じゃない。
騎馬を組んで馬上の拓哉が立ち続けてられるか?
下の三人が拓哉を支え続けられるかだけを練習していた。
タイミング良く、前後左右のバランス良く立ち上がることだけを練習した。

不安定に立ち上がると、それだけで余計な力がかかる。
均等に拓哉の体重を分散させることにだけ集中した。
永田と児山の提案で、「提督(拓哉のこと)は左利きで重心が左にかかりがちだから、五右衛門(岸元)よりヘルチ(児山)が左翼やった方がいいよ!」
筋力のない岸元の負担を軽くする為に、全員が納得したアイデアだった。
「うん、いけるよ!今までで一番安定してるよ!
足下を怖がらずに前を向けるよ!
五右衛門、重くないか?」
「な、何とかいける…。前衛で立てない時より違う…。」
「よし!みんなこれでいけるよ!」
大将馬は文字どおり、漸くスタートラインに立ったのである。
でも心配性の拓哉には不安もあった。
(でも、実際に帽子取り合うのは俺なんだよな…。)
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朝練のリレー練習も拓哉の日課だった。
永田、児山もリレーの代表なので三人は大忙しだった。
比較的背が低いリレーの代表は、リレーだけに専念出来ていた。
アンカーの長谷部、スターターの正田は端から見ても順調そうだった。
2組の林という超小学生が居なければ優勝は1組と思えるほどだった。
しかし、リレー練習は補欠を含めて6人だ。
拓哉は補欠2位。1位の松嶋が欠席していた。
ホームルームで担任の犬井先生がクラスメートに告げてわかった。
「松嶋、インフルエンザだってよ!」
拓哉の心境はまた穏やかさを失った。
リレー代表メンバーは当然松嶋と長く練習していた。
この中で更に感染者が居れば遂には拓哉が本番で走ることになるからだ。
数日後、松嶋は登校してきた。
担任のベテラン男性教師の犬井先生は松嶋に促した。
「松嶋くん、クラスのみんなにどうしたいか自分の言葉で伝えなさい。
それが君の補欠1位としての役目なんだよ。」
この時の犬井先生と松嶋の言葉は拓哉は一生忘れなかった
続