東通りには不思議な事に、二軒のケーキ屋が向かい合っている。
そして片方の店には美しい娘さんが居るらしい。
僕は反対側のケーキ屋のテラスに席を取り、ゆるりと二階の窓を眺めている。
その窓にはほんの薄いレースが架かっているだけなので、視力の良い男なら、ぼんやりと彼女の幸せに満ちた横顔はわかるのだ。
だが、今日はいつもと違う。
彼女の来客に対する挨拶がひどく情熱的だ。
それは女性同士に向ける挨拶ではないだろう。
おそらく彼女と年の近い男性に向けられた情熱だろう。
それが誰かはここからではわからない。
ほどなく反対側のケーキ屋に通ううち、「君なのかね?」と尋ねなくともわかってしまった。
それは立派な士官殿だった。
体格も良く、顔立ちも美しく、鷲鼻に黒髪、三角帽に軍刀も似合っていた。
彼は通りから窓の奥の彼女を見上げるように見詰めていた。
ずっと見上げて見詰め続けていた。
あまりに首を上に上げているものだから、終いに彼の足はガクガクと震え、遂には後ろにすっ転んだではないか!
彼は善良過ぎるのだ!
まるっきりぶち壊しだ!
淑女に騎士の印象を与えようってときに、転ぶなんて法があるかい?
騎士足らんとする者は、こうしたことによく注意しなければならぬのだ。
最も、知的に偉大な人物として登場するのであれば、こんなことは問題にならないことなのだ。
つまり、自分自身の中に身を沈め、自分の心の中でくずおれるのだから、実際に転んだとしても、見てる者は一人もいないのだ。
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キルケゴール著「誘惑者の日記」より。
はい、解説しますと「騎士の印象」とはやはり「勇気」「道徳」かと思います。
恋する相手に己の勇気や道徳心をアピールしたければ、転んではいけない、マイナスポイントだということです。
最初から最後までスマートに完遂しろってことです。
しかし、それで終わらないのがキルケゴールです。
「知的で偉大な人物として登場するのであれば」
とあります。頭の良さや、人間としてのスケールの大きさをアピールするなら、恋する相手の前で転ぶなんて問題ではないってことです。
自分自身の頭の良さを知る者は、自分の中で沈み、自分の中で崩れ、倒れるのだから、実際には誰も見ていないって事です。
知的で偉大な者は、自分にしかわからない心のハードルに転んでいて、その自分と向き合う姿勢で恋する相手と向き合えば、肉体の転倒なんて問題ではないのです。