Zaengselと言います。
この言葉は過去に愛を語る多くの詩人に使用されてきました。
そしてその度に韻を踏む言葉としてペアで使用されたのが
Faengsel「牢獄」という意味です。
恋する故の束縛感や、締め付けられるような苦しさを、過去のデンマークの詩人達は「憧憬」-「牢獄」の韻で語り続けたのです。
以下はキルケゴールの著書「誘惑者の日記より」
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僕のコーデリアよ!
(訳者注※キルケゴールは婚約者レギーネを作中ではコーデリアと呼び、自分をヨハンネスと呼んでいます。)
僕は自由です。
鳥のように自由です。
あなたのもとへ行くとき、僕は憧れています。
あなたとお別れするとき、僕は憧れています。
あなたのそばに座っていてさえ、僕は憧れています。
いったい、自分の持ち物に憧れるなんてことが出来るものでしょうか?
そうです、次の瞬間にはそれを持っていないかもしれないと危惧される時には、それが出来るのです。
僕の憧憬は永遠の焦燥なのです。
僕があらゆる永遠性を体験して、いついかなる瞬間にもあなたは僕のものだと確信するようになったら、その時こそ、僕は貴女の方へ向き直って、あらゆる永遠性を貴女と共に味わいたいと思います。
そして、その時には、勿論、一瞬でも貴女から離れていることに耐えたりする必要はありませんし、僕は憧れることなく、安心して、貴女の傍に静かに座っていることが出来るでしょう。
貴女のヨハンネスより。
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はい、キルケゴールがレギーネに贈ったとされる手紙を、自身の著書にて発表しています。
「憧れとは焦燥」
そうです、「恋」のエネルギー源の大半は「失うかもしれない」という「焦燥」なのかもしれません。
一緒に居ても、離れていても、「いつか別れが来るかもしれない」との気持ちは恋が恋である主要な構成要素だと思います。
「あらゆる永遠性を体験して」
は、月並みな言い方ですが、恋が愛に変わる時の象徴かと思います。
キルケゴールは「永遠」とは言っていません。「永遠性」と言ってます。
変わらない物、変わる物、変わらずに変わり続けるという物を感じること。
この規則性に触れた時、「捕まえていなくとも、君は逃げない」と実感した時、「愛」の誕生と思います。続