表題はハリウッド女優が乳ガンの「リスクが高い」という理由で乳房を切除したニュースや、出生前診断の賛否の頃からよく耳にするようになった言葉です。
私達は「知る権利」の名の下に、無尽蔵に情報を集めることを良しとしてきました。
携帯電話やインターネットの技術は更に拍車をかけました。
しかし、今、この
「知らされない権利」
の重要性を皆様に考えてほしいのです。
賛否の結論を急ぐのでも、異なる意見を攻撃するのが目的でもありません。
考えてほしいのです。
上記の乳ガンや先天異常は「可能性」なのです。
そうでない場合もあるのです。
しかし、おそらく誰もが
「知っておいて損はない。」
「知ってても知らなくても、状況は変わらないから。」
との考えを持つでしょう。
しかし、「知る」「知らされる」事により、重い選択は本人に任せれ、「選ばなかった側の未来」という影と幻にずっと苦労するかもしれないのです。
ならば知らされずに、自然なあるがままを受け入れる権利もあっては良いのではないでしょうか?
また、ネット社会の情報と交流は、手軽で身近に知らない事に触れることが出来ます。
そして異なる見解に無理から白黒をつけたがる弊害が生まれます。
思うに政治戦略も経済戦略も、全ての人間に当てはまる策を取るわけがなく、多数派に向けた展開をするのが賢いのは当然です。
しかし、ネットの社会では僅かな少数意見が、さも多数派のように通ることもあるのです。
次に述べる例はあくまで一般的な命題です。
皆様も一緒に考えてください。
例題「スポーツ選手は長生きだと思いますか?」
この問いに対する一般的な模範回答は
「いいえ、だと思います。
スポーツ選手は練習で一般人より心肺を酷使することが多いです。
よって、たくさん早い呼吸を繰り返すことで体内の活性酸素が増えて寿命を縮めるのが一般的です。」
ってのに対して
「スポーツが身体を健康にするから長生きします。」
くらいの意見なら問題ない。
しかし、
「激しい運動が出来ない病気の人は、僅かに身体を動かすことで寿命を伸ばし…。」
って、スポーツ選手の話題に対して難病の人を例に出す意見とかはどうなんですかね?
あくまで事例紹介で最後でスポーツ選手と絡めて結論つけるならいい。そして少数派を汲んで述べるのもいいが、「これが本当の総意」だと大手を振るうのは弱者故のごう慢かもしれません。