ルサンチマンと虚無主義 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
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以下の文章は、私の愛読書
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「萌えて学べる思想コレクション」
からの引用です。

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ナチスはアーリア人至上主義にニーチェの超人思想を悪用。ニーチェの著作が発禁になったり、権威への反抗、暴動や革命などアナキズムの理由に使われたり、悪魔主義者にも好まれた。

現代においてもニヒリズム(虚無主義)といえば、「どうせ意味なんかないだろ」と、社会を斜めに見て冷笑的・悲観的になっているイメージばかり。ニーチェが望んだような自ら価値をつくり出したり、意味を見つける「能動的ニヒリズム」はいまだニヒリズムの主流とはなっていないようだ。

ルサンチマンはキルケゴールが確立した考えでニーチェが著作で引用した。
キリスト教道徳やヒューマニズムはこのルサンチマン、つまり弱者の怨念を道徳で表したものだという。
これを「奴隷的道徳」といって、憎悪を隠し持っていることを欺瞞的で胡散臭いと批判したのだった。
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はい、とかく「正義」の言葉は都合良くも利用されてきました。
「失ったものを取り戻す」が正義なら、前政権を転覆させた時点で勝者は一切の新政権の権利を放棄しないといけないかもしれませんね(笑)。
古き悪習を壊すことより、新しき善なる習慣を構築する方が遥かに大変かもしれません。
反対を唱えながらも代案を示さないのは「衆愚政治」の典型かもしれませんね。
感情的に「政府の支援が~」と言うのは簡単ですが、予算の分配や法整備での「マイナスの価値」を見据えて、それでも実行するか否かを話してほしいです。「ドラえもん」「打出の小槌」では無いことを誰もが知っているはずですから。

また逆に左翼主義、平等主義の嫌悪の理由に、「怠惰による敗北と、努力による勝利が均一化される」と主張する方がいます。
空想的社会主義の落とし穴はまさにここで、一部特権階級が多数の人間の富と幸福と未来を均等分配出来るはずありません。

但し、共産主義はそもそも「王権神授説」によるアンチテーゼとして、血統を排斥し、神を排斥した「人間中心主義」の成れの果てだということを忘れてはいけません。

人間とは、人間が自由意思で決定出来ることを賞賛しますが、他の人間が神の様に振る舞い決定されたことに従うのは耐え難い苦痛なのです。
だからこそ神は人類の偉大なる発明であり大いなる妥協なのです。
しかし、真の信仰とは別です。