「身を切るような経験を通して、私達は学びました。合理的に思考したからといって、社会生活に生じる問題をすべて解決できるわけではないということを。」

アインシュタインの言葉です。
また、ヘンリー・デヴィッド・ソローは
「いまや我々人間は、自分達が使っている道具の道具になってしまった。」
と述べ、インドの詩人タゴールは
「神は人間に絶望していない」というメッセージを携えて、胎児は生まれてくる。
と述べています。
アインシュタインは戦後、
「我々は戦いには勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない。」
と演説しています。
また、日本人記者に対して
「敗戦国である日本には大変深く同情する。
しかし、戦勝国もまた苦しい道を歩いている。」
と述べてます。
ソローは奴隷制度に反対したアメリカの学者で、ガンジーやキング牧師に影響を与えています。
インド仏教の影響を受けたショーペンハウアーは
「世の中をうまく渡るには、細心さと寛容さをいつも忘れてはならない。
細心さによって損害や損失を免れ、寛容さによって争いごとを免れるから。」
と述べています。
これのどこが「悲観主義」でしょう?
私にはニーチェやキルケゴールやショーペンハウアーの様な自己を見つめ、既存の社会構造に疑問符を突き付けた方々は、まるで馬車馬の様に走ることを賞賛する社会に取って都合が悪かったのでは?と思います。
大量消費、大量生産の奨励は競争に拍車をかけ、連合国の勝利を「強き者の正当性」に置き換えられた気がしてなりません。東洋思想の流れを汲み、英米のキリスト教プラス市場原理主義に対抗した実存主義は、サルトルによってこそ花開き、戦後日本人の学生運動に大きな影響を与えましたが、これはサルトルが哲学者よりも文学作家としての要素が強いかもしれませんね。
ショーペンハウアーが理念に温め、キルケゴールが提唱し、ニーチェが広めた
「ルサンチマン」
弱者が恨みを捨てることにより負の連鎖が断ち切れることを説いたのですが、ナチスに曲解され、
「負けたら我慢しろ。」
の解釈に貶められたのが残念でなりません。
戦後70年が来ようする中、私は実存主義哲学と信仰の復興を真に望みます。