
1855年の今日、彼はデモに参加していました。
形式ばかりを重視するデンマーク国教会に抗議する為です。
しかし、デモの最中に路上で倒れ、病院に運ばれましたが、再び目を覚ますことはありませんでした。
享年42才でした。
既存の哲学と神学に疑問符を投げつけ、何よりも「自分の哲学」「自分の信仰」そして「自分の人生」と向き合った人でした。
関西学院大学の橋本教授は、キルケゴール研究家の第一人者と言われてますが、その教授の言葉を借りると、
「キルケゴールの功績は、著作や評論や研究そのものではない。
彼自身が自らの哲学を注いだ著作、評論、研究に寸分違わぬ人生を、彼自身が自らの魂と血肉を持って体現したことだ。」
と述べています。
私もこのブログを通じて創作小説を書かせて頂いてますが、登場人物に語らせた立派なセリフを、作者自身が実現出来る人間でありたいと、常々肝に命じて執筆しているつもりです。
美しい詩を書く人が酒に溺れたり、穢れなき美少女の絵を描く人ほど痴情の縺れ話に事欠かなかったり。
セネカは「自分自身の医者であれ。」
との言葉を残しましたが、
キルケゴールは
「自分自身の牧師であれ。」
との言葉を残しています。
自らを酷解し、自らを導き、自らを信じる。
既存の教義に盲目になることと、信仰心を持って神前に対峙することとの違いを19世紀半ばに既に記しているのです。
奇しくも私は二年前の今日、2011年11月11日の記事で「あれか、これか?」の総論を書いています。
彼の命日も知らずに、彼の著作へのまとめ記事を書いた日でした。
これも運命でしょうか?(笑)。
(そしてキルケゴールと間違い、ニーチェの画像をアップしたのもご愛嬌で)
キルケゴールは敬愛するソクラテスの名を三度呼び賞賛したそうですが、私も倣いましょう。
「キルケゴールよ、キルケゴールよ、キルケゴールよ!
『天の国』は本当にあったのか?
君はイエスや神と楽しくやってるか?
あの世でようやく『輪廻転生』を信じたか?
エヴァンゲリオンで貴方の著作『死に至る病』はサブタイトルに使われたくらいですよ!
『人生の目的は?』との問いに
『微笑むことだよ』
との解答が大好きです。」
安らかに…。