
無神論者ではあるが虚無主義者では無い。
と述べています。
虚無主義=二ヒリズム。多くは、
「世界は全て虚しいと考え、退廃を愛し、どうせ意味なんか無いと斜めに構えること」
これ即ち
「神は死んだ」
と大勢の人が考えていませんか?
これは「消極的二ヒリズム」の代表的な考えで、ニーチェの「超人思想を代表とする積極的二ヒリズム」とは全くの別物なのです。
では超人思想とは?
ニーチェ曰く、
「神は死んだ。それはキリスト教が押し付けてきた神だ。
イエスは人間である。
素晴らしい功績を残した超人である。
人間が生まれてきた意味は自身の限界を越えて超人となることだ。
神の奴隷になり、服従する為に生まれてきたのではない!」
と古典的な教会の教義を批判するのでした。
ニーチェは人間の無限大の可能性を讃え、「誰もが」超人となる世界を理想と考えていたのです。
決して、一人の超人が多数を支配下に置く「軍国主義的な世界」なんて望んで無かったのです!
青柳進先生は更にニーチェの死後に発表された「権力の意志」と言う本は、ニーチェの妹が編纂したのでは?とまで言ってます。
「権力の意志」はナチスの聖典とまで呼ばれ、アドルフ・ヒトラーの凶行の原因となったと言われています。ニーチェの妹の旦那が反ユダヤの差別主義者だったことも忘れてはなりません。
ニーチェを紹介する一部の本では「権力の意志」がまるで書かれて無いものさえあります。
で、今なお一人歩きする「神は死んだ」ですが、ニーチェより先にキルケゴール

は、
「聖書に通読しようとしまいと、神になりたがる人間は多い。
だがイエス=キリストになりたがる人間は一人もいない。」
と痛烈に批判しました。
そう、誰しも公に宗教を肯定せずに
「私は無宗教です。」
と言いながら、困った時は
「神様お願い」
なんて言います。
信仰と宗教は別物と認識しないと悲劇は繰り返します。
みんな論理を超越して「自分だけを助けてくれる神」を求めます。苦難を共にして「人間イエス=キリスト」を目標にしないのです。

映画アラジンで良いセリフがあります。「魔神になるなら魔神の宿命を受け入れろ」です