キルケゴール、ニーチェ、ヤスパースまで読み終わりました。
遂にハイデッガーです。
難解で有名な「存在と時間」を分かりやすく解説していますが…難解です(笑)。
で、青柳進先生は、自身が学生時代の時に受けた物理の先生の授業を引用しています。
とても面白かったのでわたくしもここで引用します。
ハイデッガーはわからなくても、この物理の先生の話は理解出来ました。
「『花を持ってこい。』と言われて、チューリップを持ってきたら『それはチューリップの花だ。』
百合の花を持ってきたら『それは百合の花だ。』どうだ、『花』をここに持ってくることは出来ないだろう?」
皆様に伝わったでしょうか?
青柳進先生はこれが存在論の始まりと言っています。
ハイデッガー

は私に二年間も解けない難問を授けました。
過去ログを見れば載ってますが
「存在は存在者と異なり、存在は存在しないことになります」
です。
もう、パニックになるとこの言葉がループするのです(笑)。
ですが、青柳進先生と物理の先生のおかげで何とか理解出来ました。
やっと前に進めます。
つまり、この場合
「チューリップ」は『存在者』で「花」は『存在』です。
「花」は分類であり、まとまりであり、私達の概念上にのみあるということです。
今理解出来てるのはここまでです。
また不定期に掲載したいと思います。
ハイデッガーの「存在と時間」は勿論、難解な点もありますが英米の「プラグティマティズム(実用主義)」から必要以上の非難を浴びました。
実用主義者は「行動、行為」を重視し、創始者パースは
「信念とは行動のための規則である。」と説いてます。
これが英米の進歩主義を加速させたと私は考えます。
「行為、行動に役立ってこその哲学」
とは聞こえは良いですが、私やキルケゴールに言わせれば
「行動しない時にも哲学は存在する。」
と言うでしょう。
その他にも実存主義は「構造主義」からも攻撃されます。
その辺りは明日に書きます。