結婚観とキリスト教を独身のキルケゴールが饒舌に語る | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「キリスト教は揺るぎなく結婚を堅持してきた。

しかし、キリスト教が初恋に対するエロス(足りない物を求める欲求)を包括していないのなら、キリスト教は最大の発展とならない。」

とキルケゴールは述べてます。

何よりもキリスト教は理性的に生きること、結婚して子供を作ることを奨励してます。
欲に我を失い、快楽に生きることを忌み嫌います。

しかし、キルケゴールは頭で考えても到底答えの出ない、
「初恋の衝動」
を何よりも重視しています。

「自分」と「今現在」に重きを置く実存主義は、初恋が理性的で無い故に哲学することは不可能と説いてます。

だからこそ、キルケゴールは先に結婚だけを求める行為、つまり当人同士の恋愛感情が無い結婚を痛烈に批判しました。

「結婚後に愛が生まれるなんて考えは、『鳥かごに放りこめばつがいになる。』と言う様な鳩商人の発想だ。」

と切り捨てました。
「結婚は幸福を目指す『手段』であって幸福達成の『目的』でも『目標』でも無い。」
by SPA-k

愛する人とベストな関係を模索した結果、「結婚」を選択するのが理想的です。
結婚の為の行為や行動は、キルケゴールから見たら動物の様に見えたのかもしれません。

熱心なキリスト教徒だったキルケゴールも、教会の無意味な説法や戒律には飽き飽きしてたそうです。

「摂生のを守るために摂生せよ」ー全く無茶な注文だ。

と、イエスや聖書をおいてけぼりにして、無批判に牧師に従う当時の教会と信者を痛烈に批判していました。
そしてその考えはニーチェにも受け継がれます。

明日はニーチェの超人思想と実存主義を書きたいです。