残念ながら、キルケゴールとレギーネがどんな風に交際を続けて婚約に至ったかは、書かれていません。
書かれていたのかもしれませんが、難解な原書の中に私は見つけることは出来ませんでした。
婚約破棄した頃にはすっかりレギーネの方がキルケゴールを追いかけて撤回を求める書簡を送り続ける有り様でした。
なので研究者の間で未だにこの理由は謎とされてます。
今読んでる青柳進先生の「現代における実存主義の意味」
の中でも、私が読んだ数々の哲学解説の本でも、ほとんどの著者が
「キルケゴールは肉体的結びつきの結婚以上に、信仰を重視した精神的な結びつきを選択した。」
と解釈しているのです。
その理由として
キルケゴールが神学課程を修了し、牧師の資格を持っているから信仰を重視した。
キルケゴールは、父が母に強引に迫り、結婚前に長男(キルケゴールの実兄)を妊娠させたことを酷く嫌悪し、愛欲による結婚を承諾できなかったから。
等の意見があります。
その他にも
「自由を選択した。」
「気まぐれ」
などあります。
しかし、ここで疑問になるのは
「精神的結婚が成立するなら、何故、一度婚約をしてそれを破棄するのか?
愛の永遠が二人に成立しているのなら最初から婚約しない選択もあるのではないか?」
です。
これには歴史が証明していると私は考えます。
それはレギーネが後に別の男性と結婚していることです。
婚約中のまま結婚しなかったり、ずっと交際だけのままだと、
「レギーネは自分を愛し続けて、未婚の女性として一生を終えるから」
と考えられるからです。
私はキルケゴールは自身が長く生きれないと強く信じていたことが全ての原因と思います。
「お前はイエスが死んだ34歳まで生きられない」
と実父から言われ続けて成長したキルケゴールは常に心に鬱屈とした物を抱えていました。
また、彼は子孫を残せない肉体的欠陥があったとの説もあります。
だからこそ、私は究極まで高めた愛を壊し、尚且つ互いに信じ合う愛を選択したと思います。
長くなりましたが私は
「キルケゴールが自分には余命が無いと強く信じ込んでいたから。」
が原因と考えます。
遺稿や書簡を預けたりと、レギーネ夫妻との付き合いは続きます。
それを精神的結婚と呼べるかと言えば、私にはわかりません。本人達の問題です。
ただ、
「結ばれるばかりが愛じゃない。信じ合うのも愛の形」
と思いたいのです。