こんばんは。
タイトル通り、念願のキルケゴール100回目を迎えることが出来ました!
皆様、どうか私の約1年2ヵ月に渡るキルケゴールの過去ログをどうか愛読して下さいませ。
思えば稚拙な文章でした。
画像検索でヒットした画像を掲載したら、キルケゴールでは無くニーチェだったり(笑)、レギーネのことを作中の偽名コーデリアと記載してたりと。
振り返ると恥ずかしい限りです(笑)。
へーゲルは
「哲学は考えることを考える学問だ。」
と切り捨てました。
「哲学はそんな物で一纏めに出来ない」
と強く私は思い、その時に出会ったのがキルケゴールの実存主義でした。
「世界も神も哲学もそれを見ている『自分』から始まる」
です。
そして私がキルケゴールに惹かれた最大の魅力はその言葉が常に現実的で実践的でユーモアに溢れているからです。
哲学者が陥りがちな
「理論の為の理論、概念把握の為の概念が無くストレートだからです。」
ですから次回から暫くは過去ログから再編集した
「キルケゴールのユーモア」
をテーマを独立して書きたいです。
新規の読者様も、長年の読者様も、どうか期待して下さいませ。
では今日の最後は
「野の百合・空の鳥」から
「歓びとは何であろうか?
それは自己自身に対して『今日』存在すると言うことである。
汝に対して、今日存在すると言うことが完全に真実であればあるほど、明日と言う不幸な存在は無くなるのである」
by セーレン・オービエ・キルケゴール
「明日を期待しても、憂えても
昨日を賛美しても、憂えても、
思い巡らす時間は今日と言う現実」
by SPA-k
因みにキルケゴールは祖国デンマーク語での口語表記では
「キアケゴー」
が正しい発音だそうです。
デンマークを訪れる際の参考にどうぞ(笑)。