1918年に第一次世界大戦は終了しました。
敗戦したドイツと、勝っても甚大な被害を受けたフランスでは、それまで欧米を席巻してた「進歩主義」に疑問を持ち出します。
植民地支配や大量破壊兵器の投入、両軍合わせて1000万人を越える戦死者。
「発展」の名の下に世界は悲しみと隣り合わせでした。
そんな進歩主義に対して
「国家主導の物質的な豊かさよりも個人の自然観を大切にしよう。」
と言う考えがドイツやフランスで盛り上がってきます。
そのなかで注目された人物がニーチェとキルケゴールです。
ニーチェの「神は死んだ」の思想はナチスに政治利用されたと言います。
キルケゴールの実存主義を継承したとされるハイデッカーはナチスに入党しています。
サルトルによってハイデッカーは「実存主義」と言われていますが、ハイデッカー自身はこれを否定しています。
そして注目すべきは戦勝国のイギリス、アメリカ、日本はこのニーチェとキルケゴールの影響を受けずに「進歩主義」を強め続けることになるのです。
そして第二次世界大戦での敗北によるアメリカ的価値観の押し付け…。
そこには常に勝ち続けた進歩主義による「戦勝発展をベースとしたアメリカ」
の価値観なんですよね。
よって日本の実存主義は1960年代の学生運動まで導入が送れますが既にアメリカの管理下に置かれた日本でした。
この敗戦がアメリカ一国統治体制でなく、フランスや同じく敗戦国のドイツの文化がもっと入りやすければ、日本におけるキルケゴールの知名度はもっと上がってたかもしれません。
何が言いたいかと言えば、世界、国、国家の前に
「存在する自分」
を認識して下さい。
と言うことです。
個人主義になれと言うことではありません。
他者との共存で自分が存在するのも承知しています。
しかし、
「自分の内なる宇宙は自分だけの物」
なのです。
既出ですがキルケゴールは
「人生を仮面舞踏会に例える者がいるが、仮面をはずす夜の世界を忘れてはいけない」
と述べてます。
他者との共存であなたの中に「作られた人格」が存在するでしょう。しかし、それはあなたが一人になれば不必要な人格です。そして他者も所詮、仮面を被っており、それを引き剥がすことが人生の目的ではありません。
私は自由意思はあると考えます。内なる宇宙はどこまでも自由だからです。
そして進歩主義に対するアンチテーゼを常に持ち続けたいです。