blogタイトルとわたし | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

世の中の倫理や道徳よりも、まず先に生きている自分が存在する。
これが「実存主義」の中核です。
キルケゴールは実存主義の創始者と呼ばれています。
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しかし、その実存主義を体系化した著書を記したのは100年近く後に活躍したフランス人のサルトル
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です。
「実存主義」で検索すると、キルケゴールよりもサルトルの方が優先される時があります。
そして驚くべきことにサルトルは
「最後の哲学者」
と呼ばれているのです!。

わたくしが自分のblogタイトルに、こう名付けたのは
「自分の哲学が後年に渡り普遍となり、自分以上の哲学者は未来永劫出てこないだろう。」
と自信に満ち溢れていたからです。
その時はサルトルもキルケゴールも知りませんでした。

不思議な運命を感じました。
キルケゴールの影響を受けたサルトルは自らを「最後の哲学者」と名乗り、キルケゴールを知らずに「最後の哲学者」を名乗った私はキルケゴールに出会いました。
そして今は私も「実存主義」にしっかりと傾倒しています(笑)。
blogをはじめて数ヶ月後にキルケゴールに出会い、感銘を受けました。
思えば大学でも高校でも学んだことが無く、哲学原書も読んだことがありませんでした。
しかし、わたくしはキルケゴールに出会いました。
それは私が見たい物を見たい様に見たいだけ見た結果、巡りあったのです。

実存主義者は常に訴えます。
「選択する自由は常に存在するが、選択した責任からは逃れられない。」

私達は無意識下で選びたくない物は最初から選択しないようになってます。

既出ですが、大戦に気球兵として参加したサルトルはこう述べてます。
「オレが戦争そのものだ。」

と。
キルケゴールもサルトルも
「集団の中の一人になるな」
と常に訴えてますが、それはただの没個性だけではありません。
「名も無きその他大勢であることに安心するな」
と言う意味も込められてます。

今を思えば恥ずかしい限りのblogタイトルですが、「変えない」と言う選択に責任を持ち、タイトルに恥じない記事をこれからも更新していきたいです。

今夜も読んでくれてありがとうございました。
皆様に祝福あれ。