神学と哲学の分離~デカルト主義者の主張 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

まずはスピノザが生きていた時代背景です。
アムステルダムに生まれたスピノザは
「急進的で自由の国」オランダで執筆活動をします。
彼の生きた1600年代半ばは「デカルト主義者」と言う科学的合理主義が大学の一大勢力となる時代でした。

儀式的で伝統的な神学部は面白くありません。
神学者達は
「デカルト主義者は聖書に反する」と「不敬虔」の罪で告発したのでした。

当時「不敬虔(ふけいけん)」とは「非国民」と呼ばれるくらい重いものでした。

デカルト主義者は「神学と哲学の分離」を訴え、哲学は聖書を批判しないし、神学に越権行為するつもりもない。
ただ「科学的に自然を探求するだけだ」
と主張したしました。
最もな言い分と思います。
しかし、事態はそう簡単に収まりませんでした。
デカルト主義者は、自分達で「自分達の主張は聖書に矛盾しない」と証明しなければならなかったのです。

理性的に考えるほど、聖書に書かれてる
葡萄酒は血でパンは肉?
天の軍勢
天使と悪魔
天国と地獄
キリストの復活

と21世紀に生きる私達には
「フィクションだらけだ」
と言いたくなるのが聖書なのです。

自分達の哲学は正しくて、「不敬虔」と呼ばれない為にデカルト主義者は苦労します。

そしてスピノザがこの件に関しての見解を示す前に二人の人物が驚くべき書物を出版します。

ロドウェイク・メイエルは
「聖書の解釈者としての哲学」
の中で
「聖書のどこまでが真実でどこまでが隠喩(たとえ話)かその真偽は哲学が仕切る」
と言うものでした。
危険すぎるこの本はデカルト主義者内部から発禁にしてくれと願いでるのでした。

アドリアン・クールバッハは
「理性の吟味に耐えた真理だけが神の言葉である。」

と自身の著作で訴えました。

聖書のほとんどが人間の作り事で、キリストは偉人だが神の御子ではない。
天使や悪魔はフィクションで、天国や地獄は心に描くものだ。
と主張し、クールバッハは逮捕され、獄死しました。
時代はスピノザの見解を待っていました。
続きは次回に。

私見です。
無批判に聖書を信じることだけが信仰では無いように思います。
合理的に自然を研究した結果、テクノロジーが発達したと思います。
祈祷よりも外科手術を信じるのが自然でしょう。
しかし、そこに倫理が必要ですが。