それぞれの神3~スピノザの場合 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
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デカルトの合理主義を継承したのがスピノザ(1632~1677)
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です

スピノザの神に対するスタイルはシンプルです。
スピノザは

「神は自然、宇宙、世界そのものだ」

と唱えました。
そして人間も自然の一部とであり、人間の肉体だけでなく、その精神さえも大自然の一部と考えました。

スピノザの考えの特徴は、
「世界を生み出した神が居るのなら、『生み出しされた』神も居るはず。」
と、創造された神を唱えた所です。
「大自然によって創られた事があるから、大自然を創る事が出来る」
と、私は解釈しました。
また、
「絶対完全な存在である神から生まれたものは、神の一部である。」
とも言っています。
私は
「精神さえも神=自然の一部」
と言う考えは正直、納得出来ません。

「私の意志は私の物」

と思いたいからです。
「この世は必然」
とスピノザは唱えてますが、それでも私は

「この世は私が見ている私が作り出した世界」

と思いたいからです。

そこで私はこう解釈しました。

「精神も肉体も神の一部ならば、
肉体は常に神に抱かれ、
精神は無限の理解と共感を常に示してくれる」

これがスピノザの唱えた一元論と解釈しました。

「それぞれの神~番外編アインシュタインの場合」

アインシュタインはスピノザを崇拝し、常々

「私の神はスピノザの神だけだ」

と言ってました。

そんな一元論者で、汎神論者なスピノザを崇拝するアインシュタインの残した言葉がこれです。

「義務ではなく、生活にうるおいを与え、社会生活に恩恵をもたらす事柄を学ぶ、そういう素晴らしい機会だと勉強をとらえてください。」
です。数々のアインシュタインの名言でも特に好きな言葉です。
明日はライプニッツを書きます。