それぞれの神2~パスカルの場合 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

パスカルは敬虔なキリスト教徒でした。
そして神学の立場からデカルトを否定しました。

「デカルトが証明した神は哲学、科学の神であり、信仰の神では無い」

と断じました。

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パスカルにとって
「神とは信仰によって、ただ心で感じることしか出来ない。
神は知恵を絞っても結論は出ない。
しかし、人間とは結局、生まれながらに死刑囚である。
神とはただその存在を信じるものである。信じて存在すれば天国に行けて、存在しなくても何も失う物はないのである。」

これがパスカルのスタイルでした。

「宇宙を内包する」
私が10歳の時に、友人の佐藤くんにした質問です。

「宇宙より広いものってなんだ?」

佐藤くんはあっさり答えました。

「人間の心だろ」と。
そのころは、パスカルも哲学も知りませんでしたが、
「思椎を巡らせる」
ことは大好きでした。
そして今の言葉、考えは正にパスカルに通じるのでした。

「宇宙は私を内包する。
私の心は思索により宇宙を内包する。」
です。
人間は誰しも心の中に宇宙があると思います。

「人間とは大自然、大宇宙に比べて小さな存在だ。
しかし、小さいと言うことを認識してる限り、人間は心に宇宙を持つ。
それは例え弱々しい葦の様な存在としても考える葦である。
人間は考えることにより心に宇宙を内包するのである。

明日はスピノザを書きます。